2025年3月31日の年度末を迎え、大阪万博の開幕まで2週間を切った。しかし今、その姿は「社会課題解決の象徴」どころか、むしろ「新たな社会課題」と化している。その現状と課題に触れ、限られた時間の中で実効性のある打開策を提示したい。

新たな公共予算が投入される大型国際イベント開催において、最も重視されるべきは何か。
それは、「開催機運」と「社会的合意」の確保である。多額の税金が投じられる以上、その正当性は、限られた層の賛同ではなく、社会のマジョリティによる支持が必要不可欠だ。
社会の声は厳しい現実
共同通信社が2025年3月23日に発表した世論調査によると、大阪万博に「行きたいと思わない」が74.8%で、「行きたいと思う」は24.6%で国民の支持を得られず、むしろ後退している状況が明らかになった。
総予算が1兆円を超える大型国際イベントで、これまでに40億円以上が「開催機運の醸成」(経産省)に投じられてきたものの、目に見える成果は出ていない。
国民の支持率が本来70〜80%に達していてもおかしくない予算が使われているにもかかわらず、現時点でも過半数が賛同していないという事実は、「開催機運」と「合意形成」における明らかな失敗を意味している。

なお、経団連加盟企業であり、大阪万博を協賛する三菱総合研究所が2024年10月に発表した生活者調査でさえ、全国的な「関心」は24%、京阪神地区で39%。「来場意向について」は全国で24%、京阪神地区で36.3%と、いずれも同年4月の調査より低下していた。
同社プレスリリースのタイトルに付けられた「リピート意向上昇」という前向きな訴求は、担当者の健気な努力が垣間見えた。
問題の本質はリーダーシップの欠如
大阪万博が支持されない根本的な課題は、建設や運営上の技術的な問題ではなく、「社会との対話を重ね、共感を醸成するリーダーシップ」の欠如だろう。リーダーたちがいくら「経済効果」を強調しても、それ自体に価値を見い出されていなかったり、そもそも信じられていないのではないか。
大阪万博のリーダー層には、万博協会理事を兼ねる大阪府知事・吉村洋文氏(49歳)、大阪市長・横山英幸氏(43歳)。万博協会会長の十倉雅和氏(74歳・経団連会長)、事務総長の石毛博行氏(74歳・元経産省)など、総勢30名以上の協会役員。
このほか、委託業者として、350億円の大屋根リングで注目を集めた会場デザインプロデュ―サー藤本壮介氏(53歳・藤本壮介建築設計事務所)が知られている。
このリーダーたちに決定的に欠けているのは、社会を説得し、共感を育む「PRマインド」に他ならない。大型国際イベントには、賛否両論がつきものだ。しかし彼らは、反対の声をあたかも敵のように扱い、対話の努力を怠ってきた。
その結果は、共同通信や三菱総合研究所の生活者調査に如実に表れている。本来求められていたのは、万博の意義を一方的に押しつけるのではなく、冷静に、丁寧に、そして誠実に語る姿勢だった。
<PR(Public Relations)とは?>
PRは1945年頃にアメリカから日本に導入された概念だ。近年では、プロパガンダ的な手法と混同されるケースもあるが、本来の意味は以下の通り。最終的に「相手の好意と信頼性を引き出せたかどうか」の結果に尽きる。
「個人または組織体が、その関係する公衆の理解と協力を得るために、自己の目指す方向と誠意を、あらゆるコミュニケーション手段を通じて伝え、説得し、あわせて自己修正をもはかっていく継続的な対話関係である。自己の目指す方向は、公衆の利益に合致していなければならず、また現実にそれを実行する活動をともなわなければならない」(加固三郎「PR戦略入門」1969年ダイヤモンド社)
最も不利益なのは国民
大阪万博への不支持が広がった結果、最も被害を被っているのは他ならぬ国民と言える。機運機運の醸成には40億円以上の公的資金が投じられたにもかかわらず、共感は広がらず、批判の声が世論を覆っている。
本来、たとえ反対派の意見がどれほど理不尽に思えたとしても、その感情に寄り添い、少しづつでも賛同へと導いていくことで機運醸成は成立していく。しかし現状は、まるで砂漠に水をまいているかのように、成果を伴わない投資が繰り返されている。
残された時間で取り得る、痛みを伴う戦略的なアプローチ
時間は残りわずか。本来なされるべきだった機運醸成を、いまから根本的に立て直すことは、もはや不可能に近い。しかし、すでに多額の公的資金が投じられている以上、状況を少しでも好転させる努力は放棄すべきではない。
その上で今なお、「一発逆転的」に世論との合意形成を図る可能性が、完全消えたわけでもない。まず必要なのは、主催側と反対派の歩み寄りだ。しかし、反対派には明確な主体者が存在せず、その中の誰かが突如開催に理解を示しても、全く状況は変わらない。
この局面で求められるのは、顔と立場のはっきりした万博リーダーたちが、自ら責任を引き受け、具体的な行動を起こすことだ。リーダー個人の立場やメンツといった事情は問題ではない。
大阪万博の開催まで2週間を切った今、リーダーの考え次第で物理的に実行可能で、現在の万博協会が直面する危機的状況を打開とまでいかなくとも、やわらげるために取り得る、2つの現実的な方向性がある。
1. 記者会見で課題を開示し、国民理解の醸成へ
まず考えられるのは、現状と課題を素直に説明する、透明性の高い記者会見を開催する。これにより、批判的な世論に正面から向き合う姿勢を示し、過去の対応に対する反省と、今後の改善計画を丁寧に語れば、信頼回復のきっかけをつくれる。
記者会見は、マスコミを通じて国民への説明責任を果たす最も公式な手段であり、万博の社会的意義を再定義し、再構築する場としても活用し得る。
ただし、記者会見の成否は、登壇者自身の対話力と適応力次第で大きく左右される。これまでの万博リーダーたちの姿勢を振り返れば、会見で現体制が自らの誤りを率直に認め、心機一転の気持ちを言葉で示そうとすても期待しづらい。現実的かつ建設的な打開策だが、難易度が高そうだ。
ちなみに、今日は奇しくもフジテレビの第三者委員会とフジテレビの会見の日である。
2. リーダー刷新で反対派との橋を架ける
もう一つの選択肢は、リーダー陣の集団辞任による体制刷新だ。主要なリーダーが責任を明確にし、その上で新たなリーダーが登場することで、社会の一定の納得感を得て、再出発の兆しを示せる。あわせて、現場スタッフの士気向上や、内部に蓄積していた課題の解消といった副次的な効果も期待される。
辞任は、組織の生き残り戦略として、ビジネス界やスポーツ界ではごく一般的な責任の取り方だ。一見ネガティブだが、自らの意思で辞任を選べば、むしろそのリーダーシップの証として評価される場合も多い。
その決断がのちに、「あの時の選択こそが転機だった」と語られ、リーダーの決断として評価されるだろう。
なお、辞任において、特に吉村府知事と横山市長の立場は、むしろ適している。たとえ万博協会理事を辞任しても、開催地自治体の首長としての立場は変わらず、「問題の所在は万博協会にある」という構図を打ち出せる。
また、大阪万博の国民支持層は、特に吉村府知事の支持層と重なっていると考えられる。彼らが支持しているのは、万博協会の十倉会長や石毛事務総長ではない。
新たなリーダー像と現場への効果
新たなリーダーに求められるのは、知名度や肩書ではない。これまで現場で実務を担ってきた、無名であっても実力のある人材こそが、次の局面を担うにふさわしい。今の日本においては、現場からのたたき上げや無名である方が、社会から好意を持たれる可能性が高まる。
なお、たとえ万博協会の一部リーダーが交代したとしても、経産省をはじめとする各省庁や地方自治体、大手企業などから出向しているスタッフは、実務能力が高く、今後の事業遂行に支障はないだろう。むしろ、現場の意思決定がスムーズになる可能性すらある。
経験豊富なキャリアを持ち、万博の成功と機運向上を願っている現リーダーたちであれば、これらの打開策はすでに思いに至り、検討していても不思議ではない。
むしろ、こうした手法は、広報や組織再編における定番策でもある。問題は、開幕まで残された時間で、当人たちが、それをやれるか、やらないかだ。
電通の安心感と現実的な選択
さらに心強いのは、電通の存在だ。2024年度には、東京五輪を巡る談合事件に関係する入札停止が解除され、すでに大阪万博の開会式やプロモーション業務などに取り組んでいる。
万博協会のリーダー交代が行われる場合、2025年度は電通への業務委託を集中的に行うことで、現場の業務遂行訂正は安定するだろう。電通には依然として社会的な批判の声も根強いが、今回のような厳しい局面で求められる現場対応力において、他の追随を許さない実行力を持っていることも事実だ。
たしかに、談合問題や中抜き構造など、ビジネス推進に疑問が投げられてきた経緯は否定できない。しかし一方で、日本の「社会課題」となってしまった大阪万博を前に進めるにには、たとえ品行に課題があるとしても、それをやりきる力を持つ存在が必要だ。
電通の起用については、社会的反発が生じるだろう。しかし、他社の指揮によって万博会期中に深刻なトラブルが発生したら、それこそ取り返しのつかない事態に発展するかもしれない。物事は常にトレードオフである。積極的「電通」選択も必要な決断と言える。
もし、万博リーダーの辞任によって、一定の世論の理解が得られていれば、委託事業者に対する理想論よりも、確実に機能する体制を優先する現実的な判断も受け入れられやすくなる。
大阪万博の使命とリーダーの決断
残された使命は、「いかにこの国際イベントの機運を高め、国民の納得感を増し、意義あるものへと変えるか」だ。そのためには、建設的な案と前向きな行動が求められる。ひょっとしたら、大阪万博という「社会課題」の解決は、案外容易なことかもしれない。残された時間で、万博のリーダーたちの決断に期待したい。
最後にーファンタジーか現実か?
これまで大阪万博を「社会課題解決の象徴」どころか、むしろ「新たな社会課題」とと定義し、残された時間で取り得る、痛みを伴う戦略的アプローチを提案した。それは突拍子的な打開策ではなく、一般社会では基本的な対応策にすぎない。
しかし、大阪万博のこれまでの経緯と照らし合わせてみると、それらがむしろ非現実的に見える。それは、大阪万博という存在が、現実の制度や合意形成のメカニズムではとらえきれない、「ファンタジー空間的コンテンツ」だからかもしれない。
著者自身、もともと大阪万博には全く興味はなかった。「新技術を発表するなら、プレスリリースで十分だろう」と、正直、侮ってすらいた。
けれど、この約1年間、取材や記事執筆を通じてそのファンタジーに触れていく中で、大阪万博は「批判の対象」から「関心の対象」へ、そして今は「訪れてみたい場所」へと変わっていった。まるで、出来の悪い生徒を気にかけて見守っているような、親心にも似た感情だ。
だからこそ、現実とファンタジーが交差する、その現場を見に行こうとか♪―東京から時間とお金をかけて「夢洲(ゆめしま)」へ、今はそんなことも考えている。すっかり大阪万博の虜だ(笑)。そうだ、USJのチケットを購入すると、大阪万博の前売りが10%割引になることを思い出した。