【コラム】アンチから応援団へ「万博物語」を演出する大手メディア―反射するネット世論

大阪万博の開幕から5カ月、閉幕まで残り約1カ月となった。開幕前は、膨らみ続ける予算に世間の関心が集まり、大手メディアも批判的な報道を繰り返した。約40億円を投じた機運醸成費も成果にはつなげられず、メディアやシンクタンクの世論調査では、回答者の約7割が万博開催に否定的だった。
<万博開幕前の世論調査> 2024/12/23 三菱総合研究所意識調査「万博開催期間中の来場意向は24%」※ 2025/3/23 共同通信世論調査「万博に行きたいとは思わない74%」※ 2025/3/24 産経・FNN合同世論調査「万博 全く行きたくない44.2% 約7割が来場に否定的」※ |
ところがこの数ヶ月で、大手メディアは劇的な変化を遂げた。かつて「アンチ」の旗手として、会場建設費の高騰、工事の遅れ、海外パビリオンの遅延といった問題点を徹底的に批判してきた大手メディアは、いまや「応援団」と化したかのように、黒字化の目安達成など、万博のポジティブ一面を伝えて報じてる。
本稿では、この現象を、主催者やメディアの思惑や動きを分析しながら、大手メディアが得意とする「切り取り」も交えて少しユーモラスに紹介し、報道に何かと振り回されがちな世論についても考えてみたい。
万博誘致と開催関係者
まず、大阪万博の誘致プロセスと開催関係者の構図を再確認したい。
2018年11月、パリで開かれた博覧会国際事務局総会で、大阪が2025年の万博開催地に決定した。旗振り役を務めたのは、大阪府議会で勢力を伸ばしていた「大阪維新の会」だ。維新は夢洲開発やカジノ計画との連携を打ち出し、政治的成果と大阪での既得権益を握った。
その後、実務を担う万博協会が設立され、会場建設や運営、スポンサー獲得、国際調整を進め、経済界を巻き込んだ。国(経産省)は日本館や途上国支援、安全対策に国費を投じ、自民・公明の政権政党は万博推進本部を設け、法整備で後押しした。大阪府市は会場整備やインフラ投資を担い、地域開発やインバウンドの需要拡大を狙いつつ、2030年のカジノ開業を見据えてる。
こうして、大阪維新の誘致を起点に、万博協会・経産省・自公政権・大阪府市がそれぞれの役割を担い、万博は巨額の税金を軸とする巨大なプラットフォームとして動き始めた。
万博黒字化報道の背景
万博協会は開催に関わる損益分岐点を運営費の約8割にあたる約1,800万枚(969億円相当)のチケット販売に設定。8月8日に1,810万枚を突破し、15日には1,866万枚に到達した。これを受けて、メディアによる「万博黒字化」報道が相次ぎ、「万博は負債を抱えず順調だ」という空気を広げた。13日夜から14日朝にかけて予期せず開催された「オールナイト万博」もこの雰囲気を後押しした。
さらに8月26日には、万博を支える関西経済団体と密接な関係があるシンクタンク「アジア太平洋研究所」が「7月末時点での万博来場者消費額が約4,000億円にのぼる」と発表。これも万博は成功しているというイメージを盛り上げた。
しかし、この勘定があくまで運営費の帳尻合わせにすぎないことは、万博関係者は内心で理解しているに違いない。事実、開催前に問題視されていた大屋根リング(造成費350億円)を含む会場建設費2,350億円、インフラ整備費8,390億円、国費1,647億円といった投資はすべて別勘定で積み上がる。
これらを含めた初年度の損益計算は大赤字だ。さらに、会期終了後にはドル箱であるチケット収入も途絶え、最大76億円のリング保存の改修費や、年間会場全体の維持管理費も発生する。大阪府市の本命「大阪カジノ構想」の連結まで考慮すれば、資産償却を終えて黒字化に至るのは「50年後」か「100年後」とも皮肉れる。
<万博跡地について> 今年1月、大阪市の横山市長が民間事業者から提案された「サーキット場建設とF1誘致」と「ウォーターパークなど複合リゾート」の2つの構想を公表していた。ところが、その後の協議で資金調達や採算性のハードルが指摘され、実現困難という見方が強まった。9月に入り、万博シンボルの大屋根リングの一部保存を組み込みつつ、市が主体となって大阪市営公園として整備する案が急浮上している。 |
万博が赤字だという批判に対して、吉村大阪府知事らは「経済波及効果は約3兆円にのぼる」と主張するだろう。政策を担う組織には何よりも「無謬性」が欠かせない。失敗の可能性を口にしたり、議論したりすること自体がタブーであり、それが組織の正当性をささえている。
このような中で、大阪万博が「黒字」か「赤字」か、「賛成」か「反対」かという議論をいまさら繰り返しても、つまらなくて、新しい結論も生まれない。視点を変えて、万博を捉え直してみたい。
万博物語と大手メディア
注目したいことは、万博の話題を作ってきたのは大手メディアであるという点だ。そして、開幕前と開幕後で報道姿勢が一転した背景に、何があるのか。そこにこそ、黒字・赤字や賛成・反対の垣根を越えた面白みがある。
なお、万博協会が運営費とチケット収入をセットで示す会計方法は、広報戦略としては当然のことだ。組織に有利な切り口で情報を発表し、メディアを通じて世論に浸透させる。さらに「今後、災害リスクなど想定外の支出があるかもしれない」と控えめな姿勢も添えて報じられ、批判をかわす工夫もされた。
一方で、開幕前には巨額の建設費やチケット販売の不振を批判的に伝えていたメディアが、開幕後はそうした点にほとんど触れず、万博を応援する論調へと変わった。この転換の背景には、いくつかの事情が考えられる。
万博報道を担うのは、5大紙(朝日・読売・毎日・産経・日経)と2大通信社(共同・時事)の大阪本社、さらに在阪局(NHK・読売テレビ・毎日放送・関西テレビ・朝日放送)だ。それぞれに系列や内部の論理があり、その構造が報道姿勢に反映される。開幕後に報道が批判から礼賛へと傾いた背景には、複数の要因が重なっている。
まず、開幕前に建設費高騰や前売り不振を報じていた分、開幕後にチケット販売が好調に転じたことで情報ギャップが生まれた。「1,800万枚突破=黒字化」というシンプルな指標は速報ニュースにぴったりで、見出し映えもする。
次に、万博取材を担当する記者は事件から地域行事まで幅広くカバーしており、日々の業務に追われて背景取材に手が回らない。主催者発表をそのまま報じざるを得ないことも多い。加えて経営環境の悪化で記者数が減り、万博のような「祭りごと」をわざわざ深掘りする時間は無意味になる。
さらに、紙媒体の部数減少でデジタル版の収益に頼るようになり、メディアはSNSで賛否を呼ぶ「ネタ」を投下してPVを稼ぐ方向に傾いている。同じ事実でも見出しを変えて繰り返し配信し、Yahoo!ニュースやSNSで拡散されるたびにアクセスされる。SNSのバズの火種の多くは大手メディアのデジタル記事であり、メディアとSNS世論は互いに依存する相思相愛の関係だ。
もちろん広告スポンサーへの配慮も大きい。万博協賛金は800億円超、経済界のトップが協会理事に名を連ねる。協賛企業は株主への説明責任を負うためポジティブな報道を望む。協賛企業がメディアの主要広告主である以上、報道に影響が及ぶのは必然だ。NHKも国の方針に沿う点で類似する。
また、メディア事業者が大手広告会社のように、万博関連業務を受託する例もある。開幕直前の今年3月、読売新聞大阪本社は「Co-Design Challenge」プロモーション事業を請け負い、企業の共創プロジェクトの広報を担当した。編集局ではなく事業部門の仕事だとしても、同一企業内で万博報道への影響は避けがたい。同社は同事業を2024年度にも受託していた。
万博来場者への配慮もある。開幕前は世論が冷ややかで批判報道が支持されたが、開催後に批判を続ければ、来場者の反発を招く。誰でも自分の体験を否定されたくないため、報道は「楽しかった」という声に寄り添う。それ自体、メディアにとって読者や視聴者の獲得にもつながる。
そして現場特有の一体感も見逃せない。記者は会場に日常的に出入りし、主催者や関係者と同じ苦労を重ねるうち、批判よりも共感へと傾きやすくなる。今夏の厳しい暑ささえ、その一体感を後押しする。
メディアの変化と世論
つまり、メディアが「万博」を応援するのは、営利企業としては自然な判断だ。スポンサーや来場者などの期待に応える「万博物語」を選んでいるにすぎない。どの業界でも、組織が経営の安定を模索するのは当たり前であり、メディアも例外ではない。むしろ昨今のメディア批判は、ジャーナリズムに過度な理想を抱いていた側の期待が重すぎるとも言える。
一方で、専門家やメディア企業に属さない一部のジャーナリストは「報道の自由」や「編集と広告の分離」を訴え、SNS上でも「メディアは常に偏向している」との声が絶えない。だが2008年のiPhone登場を機にデジタル化が進み、紙の部数は急減、新聞社はビジネスモデルの大転換を迫られた。テレビもまた、CM頼みの番組放送からネット配信、イベント事業、ライセンスビジネスへと収益源を広げている。
こうした変化のなかで、旧来のジャーナリズム像を求める声が届きにくいのは皮肉だ。声を上げる側自身が、気づかぬうちに変化したメディア環境の住人となり、その一部の恩恵を日常的に受け取っているからかもしれない。
第四の権力は、姿を変えてもなお権力であり続けている。