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【旅レポ】岐阜の「つくる」を旅する 美濃から日本橋へ

岐阜和傘

岐阜県は、日本のほぼ中央に位置し、北の「飛騨」と南の「美濃」という二つの顔を持つ。かつて別の国として並んだ歴史が、風土や文化に奥行きを与えている。飛騨では山脈に抱かれるように暮らしがあり、美濃では清流に沿って穏やかな日々と手仕事が今も続いている。

2025年11月下旬、美濃(大垣市・岐阜市・瑞浪市・恵那市)を訪ねた。目的は1月21日(水)から日本橋三越本店で開かれる催事「岐阜探訪~食と匠の共演~」に向け、出展予定の事業者の手仕事を取材するためだ。

 

百貨店の催事は、つくり手が店頭に立ち、客と直接言葉を交わせる機会でもある。ただ、「思ったほど声をかけてもらえない。遠慮してしまうのかな」と話す事業者も少なくない。それでも彼らは地元の仕事を離れ、東京へ向かう。売るためであると同時に、「生の反応」を確かめるためだ。

 

消費者は、Webやチラシに書かれた特徴だけで選ぶとは限らない。むしろ、会話のなかで、思いがけず「買う理由」に出会うこともある。

 

このレポートが、岐阜県の手仕事を知る入口になればと思う。さらに気になった点があれば、ぜひ会場で訪ねてみてほしい。つくり手は、消費者との対話を通じて次のアイディアの種を見つけていく。それが、日本のものづくりの伝統をつないでいく原点にもなる。

■水の都、西濃・大垣の静かな朝

11月下旬。岐阜県西濃で「水の都」と呼ばれる大垣に着いた。駅前から水門川に沿って延びる遊歩道「ミニ奥の細道」を歩き始める。

岐阜県大垣「水門川」橋げた
「水門川」は大垣城の外堀として築かれ、かつて水運が栄えた。花見の時期、船下りが人気だ。

 

橋を渡るたび、足元の水音が立つ。川沿いの歩道は手入れが行き届き、ここで暮らす人の丁寧な営みが伝わってくる。ここから岐阜の「つくる」現場へ向かう。

■今回訪れた場所

  1. 3つの水系が交わる地下水で仕込む、江戸創業「武内酒造」(大垣市)
  2. 長良川が支えた岐阜和傘、最大手「マルト藤沢商店」(岐阜市)
  3. 盆からインテリアへ、岐阜提灯「オゼキ」(岐阜市)
  4. 色は探して守る、小さな焼きもの「マスターズクラフト/イホシロ窯」(瑞浪市)
  5. 「岩村カステーラ」の素朴を焼く、「かめや菓子舗」(恵那市)
  6. 冬が仕上げる細寒天、「山サ寒天産業」(恵那市)

■3つの水系が交わる地下水で仕込む、江戸創業「武内酒造」(大垣市)

水門川沿いを歩いていると、川筋の先に大きな日本家屋が現れた。1744年(寛保4年)創業の「武内酒造」だ。

武内酒造
「武内酒造」

 

迎えてくれたのは9代目蔵元・武内昌史さん。説明は手順と根拠から組み立てて、当代の蔵元らしさが垣間見えた。

 

武内さんは大垣で育ち、大学進学で大阪へ。大手アルコールメーカーを経て、独立行政法人酒類総合研究所で技術を学び、2000年に家業へ入った。外で身につけた知識や経験が、蔵の考え方につながっている。

 

武内酒造の主な銘柄は三つ。ハイブランドの「御幸鶴(みゆきづる)」、食中酒を意識した「美濃紅梅(みのこうばい)」、そして地元名を冠した「大垣城」。銘柄ごとに酒米と一般米を使い分け、狙う味わいに合わせて設計している。ちなみに武内さんが普段よく飲むのは「大垣城」だ。地元の声から生まれた銘柄が、つくり手の日常の一杯になっていた。

武内酒造の日本酒銘柄

タンクは「貯蔵」より「段取り」のために

案内された蔵には大きなタンクが並ぶ。ただ、いま主役はタンク貯蔵ではない。液面が空気に触れる面を小さくしたいこともあり、貯蔵は瓶中心へ切り替えているという。タンクは、搾った後の一時置きや瓶詰めまでの段取りの受け皿として使い、長く置かない。酒造りは、空気との付き合い方も設計に入ってくる。

武内酒造の蔵
武内酒造・酒の瓶貯槽

150メートルの深さからくみ上がる仕込み水

品質を保つために行う「火入れ」。武内酒造では、20年程前までタンクに沈めたコイル状の管に酒を通して湯煎で温度を上げていたが、現在は一升瓶に詰めた生酒を大型ビン燗機に入れ、瓶ごと湯煎・急冷する方法を用いている。

 

蔵の裏手にある井戸の話になると、武内さんの言葉が少し熱を帯びた。

 

「大垣の地下水は、深さで源泉が変わるのです。50mは揖斐(いび)川、100mは長良川、そこから先は木曽川。うちは150mの井戸なので、くみ上げる時にそれぞれの水が入り込んでくるのですよ」。

 

150mにわたる水の層が、この土地での酒づくりの条件をそのまま示していた。仕込み水の話を聞きながら、先ほど歩いた水門川の水音を思い出す。地上の流れと、地下の三つの水脈が、同じ町の中でつながっている。

武内酒造(武内合資会社)

🔗https://www.takeuchi-shuzo.com/

■長良川が支えた岐阜和傘、最大手「マルト藤沢商店」(岐阜市)

長良川の流域に入ると、川から離れていても空気が少し変わる。岐阜にとって長良川は、風景であると同時に、産業の条件でもあった。

 

岐阜は和傘の全国一の産地として知られる。江戸時代中期、加納藩が下級武士の生計を支える内職として和傘づくりを奨励したことが起点とされ、現在の岐阜市内加納地区に技術が集積した。美濃では材料となる和紙や竹、油が手に入り、長良川の水運で運べたことが大きい。大阪と江戸の中間という地理も、流通の後押しになった。

 

一方、最盛期には問屋が600軒を超えたが、後継者不足などもあり、現在稼働している問屋は3軒のみとされる。

 

1931年(昭和6年)創業の「マルト藤沢商店」は、その延長線上にある1軒で、現在は岐阜和傘の最大手だ。話を聞いたのは、社長の藤澤麗子さん。岐阜和傘の製造・卸を担いながら、分業の職人仕事を束ね、伝統を受け継いでいる。

マルト藤沢商店
「マルト藤沢商店」

分業で立ち上がる1本の和傘

和傘づくりは分業で成り立つ。1本が完成するまでに、骨組み、和紙、張り、油引きなど工程が多く、雨傘や日傘では6~8人の職人の手を経る。そのため、社内ですべての工程を担うわけではなく、普段は工房見学も受け付けていない。

岐阜和傘

 

この日は特別に、骨組みに美濃和紙を貼る工程を見せてもらった。職人が開いた骨に紙を当て、張りをならし、指先の圧で貼りつけていく。普段とは違って周囲に人がいる状況でも、動きは静かで速い。勢いがよく見える一方で、紙の張り具合はきちんとそろっていく。次の写真で手仕事の流れを目で追ってほしい。

岐阜和傘づくり1
岐阜和傘づくり2
岐阜和傘づくり3
岐阜和傘づくり4

 

自分が同じことをしたらどうなるか。でこぼこになり、はみ出し、収拾がつかなくなることしか想像できない。というか、自分だったらと想像することが無意味に思えるほど、作業は正確で、美しい。

 

1張り終えたとき、こちらが「20分くらいですか」と聞くと、職人は短く訂正した。
「30分です」

 

どちらかといえば、こちらの計算に合わせて受け流すこともできたはずだが、数字は正された。不正確な速さを受け入れず、正確さを守る。和傘の仕事は、こうした積み重ねで信頼をつくっているのだと感じた。

例えば、和傘を「ふだん」使う

和傘には日傘、雨傘、舞踊傘などがある。いま出番が多いのは、祭りや踊りの場、店先の差し傘、料亭や空間の演出といった業務用途で、日常の雨具だった時代は遠い。

 

それでも、装いに気を配った日ほど、最後に手に取る傘で全体の印象が崩れることがある。便利さでビニール傘やこうもり傘を選べば手元に生活感がにじむ。逆に有名ブランドの記号に頼れば、服の意図とぶつかることもある。

 

そこで和傘をふだんに持ち込むのはどうだろう。信頼を寄せるワードローブに合わせたときほど、色と骨組みが手元で品よく効く。手元のたたずまいが整えば、ふだんの「すてき」がひとつ増える。

株式会社マルト藤沢商店

🔗https://www.wagasa.co.jp/

■盆からインテリアへ、岐阜提灯「オゼキ」(岐阜市)

岐阜市中心部、金華山の麓に近い幹線沿いに、岐阜提灯の製造販売を手がける1891年(明治24)創業のオゼキがある。1階のショールームには灯りをともした提灯が並び、紙と竹がつくる光が空間をやわらかく整えている。

オゼキ社屋
「オゼキ」
オゼキの岐阜提灯ショールーム

岐阜提灯は江戸時代中期以降に庶民に普及したとされる。良質な和紙と竹が手に入り、長良川の水運が材料と産地を結ぶ。岐阜和傘と同じく、素材と流通がそろった土地で、手仕事が産業として受け継がれてきた。

 

分業が支える1張の提灯

製造は分業が基本だ。骨、紙、張り、絵付けと工程ごとに手が変わる。1張の提灯は複数の技の重なりで立ち上がり、価格差もその重なり方に現れる。近年は一部工程の合理化も進め、素材や作り方を調整しながら、日常に置ける提案へつなげている。

岐阜提灯づくり
岐阜提灯づくり

 

表情を決めるのは絵付けだ。曲面に筆を置くための技術が要り、絵具を膠(にかわ)で定着させる絵つけや、刷りの柄を合わせ、のりを「打つ」と呼ぶ張りの作業など、細部の約束事が技の精度を支える。

需要が「お盆」に寄るから、売り方を設計する

岐阜提灯の特徴は、端正な姿と精巧な細工、火袋に施される彩色絵にある。ただし需要は通年ではなく「お盆」に強く寄ってきた。そこで同社は、季節に合わせた見せ方と商品軸を切り替えている。盆提灯も種類や提案の幅を広げ、買い手が選びやすい入口を用意する。

 

夏以外は盆提灯のオフシーズンになる。オゼキはこの時期、和紙照明やインテリアとしての提灯を前面に出し、店内レイアウトも複数パターンで切り替える。季節商品を、日常の空間へ置き直す工夫だ。6代目社長の尾関年彦さんの話からは、提灯をお盆の時期だけに限らず、長く使い続けてもらうための工夫を常に考えている姿勢が伝わってきた。

「AKARI」という、もうひとつの入口

オゼキは彫刻家イサム・ノグチの照明作品「AKARI」でも知られる。1951年、岐阜提灯に関心を持ったノグチが尾関次七商店(現オゼキ)を訪ねたことをきっかけに、小さく折りたたんでコンパクトに収納できる「あかり」が形になった。その後、200種類程のさまざまな形や大きさの「AKARI」が生み出されたという。

オゼキの岐阜提灯「AKARI」byイサムノグチ

提灯は盆の季節に強く結びついてきた。けれど、ショールームの灯りを見ていると、提灯は日常にもよく似合う。尾関社長は米国でMBAを取得したというが、話を聞くほど、伝統工芸を続けるには、つくる力だけでなく、時代に合せた「届け方」の設計が欠かせないことが分かる。ノグチとの出会いから「AKARI」へつながった流れも、その歴史上にあるのだろう。岐阜の街なかで触れたのは、伝統の保存というより、伝統の運用だった。

株式会社オゼキ

🔗https://www.ozeki-lantern.co.jp/

■色は探して守る、小さな焼きもの「マスターズクラフト/イホシロ窯」(瑞浪市)

岐阜県瑞浪市。陶磁器卸売を主軸にしながら、箸置きなどの小さなやきものを社内工房「イホシロ窯」でつくるのがマスターズクラフトだ。創業は1960年(昭和35年)、工房は2006年(平成18年)に立ち上げたという。

マスターズクラフト社屋
「マスターズクラフト」

 

工房に入って最初に目が留まるのは、棚に並ぶ「色の基」だ。ペットボトルに詰められた釉薬(ゆうやく)の原料や調合済みの釉薬が上下二段で整理され、配合比率のメモが貼られている。

 

既製品をそのまま使うだけでなく、複数を混ぜて狙いの色に寄せていく。釉薬は約50種類。土は約20種類を使い分け、土の色と釉薬の色の掛け合わせでパターンを増やしていく。

色は「ひらめき」ではなく「管理」で決まる

色づくりは感覚だけでは進まない。釉薬は劣化しやすく温度変化を嫌うため、一部は保冷して品質を維持しているという。色は探すが、同時に守る。かわいらしい箸置きの裏側には、管理の秩序がある。

 

商品アイディアも、色や質感の発見から立ち上がることがある。土と釉薬の相性を見るテストを重ねるうち、焼き上がりの表情から「この質感なら、この形が合う」と決まっていく。一方で近年は、取引先や店頭からの要望を受けて形にすることも増えている。アイテム数は550~600ほど。

 

売れ筋は、「団子」や「たい焼き」「みたらし」など、食べ物をモチーフにしたものだ。近年は、国内にとどまらず、海外の暮らしやテーブルに向けて届けることにも力を入れている。

箸置き
パンの箸置き

量産の要は「同じに焼く」ための記憶

量産の肝は、「同じに焼く」ことにある。焼き位置が変われば、同じ釉薬でも発色が揺れる。どの窯で、どの段で、どの場所か。棚板の使い分けも含め、再現のためのルールが積みあがる。工房には複数の窯があり、6号機まで導入されている。「色を発見する工程」と「色を再現する工程」が、同じ現場に同居している。

 

現場作業は淡々としつつ手数は多い。仕上げ、加熱、色分け、修理。難しい形があり、難しい色があり、その分だけ工程が増える。使い手にとって小さな箸置きは、作り手にとっては手仕事の集合体だ。

箸置きづくり
箸置きづくり

 

さらに、原材料をできる限り域内で調達し、焼成エネルギーや働く環境にも目配りしているという。工房で見えたのは、かわいらしさを偶然にせず、条件を整え続ける姿だった。

マスターズクラフト

🔗https://www.masterscraft.co.jp/

■「岩村カステーラ」の素朴を焼く、「かめや菓子舗」(恵那市岩村町)

城下町・岩村を代表する菓子が「岩村カステーラ」だ。
岩村カステーラには、由来の物語がある。江戸時代後期の1796年(寛政8年)、岩村藩に仕えた医師・神谷雲澤が蘭学を学びに訪れていた長崎で、カステラの製法も学び、岩村へ持ち帰ったことが始まりで、「全国のカステラのルーツ」とされている。

かめや菓子舗
「かめや菓子舗」

 

かめや菓子本舗は1911年(明治44年)創業の菓子店で、カフェ営業も行っている。岩村にはほかにもカステラ店が2店舗あるが、どの店も伝統の製法を守り、岩村カステーラの物語そのものを店の看板として受け継いでいる印象だ。

 

味はプレーンのほか、抹茶やゆずなどのバリエーションもそろえる。材料は小麦粉、卵、砂糖、はちみつ。香りや甘さで押し切るのではなく、素朴さを保っている。生地づくりでは卵をゆっくりと混ぜて気泡を細かくし、ふくらみよりも密度を狙う。口当たりがきゅっと締まるのは、その工程の結果だ。

 

焼きは銅板の小釜で1本ずつ。炭火と同じ300度で上下から熱を当てて高温で焼き上げると、外側が先に香ばしく立ち、内側に水分と香りが残る。断面がどこか卵焼きに似て見えるのも、この焼き方の仕事ぶりだ。

かめや菓子舗カステラ作り
かめや菓子舗のカステラ

 

岩村城下町は観光地でありながら、その町並みには普段の暮らしが溶け込んだ静けさが残る。岩村カステーラもまた、この町に伝わってから200年以上、余計に飾らず、当時の作り方そのものを受け継ぎ、当時からの味を残してきた。

岩村城下町

かめや菓子舗

🔗https://www.iwamura-kameya.com/

■冬が仕上げる細寒天、「山サ寒天産業」(恵那市山岡町)

岐阜県恵那市山岡町。昼夜の寒暖差が大きく、雪が少なく、気温が氷点下以下になることも多い冬の気候が、「細寒天」づくりを支えてきた。山サ寒天産業はこの地で1936年(昭和11年)に創業し、細寒天づくりを続けている。山岡町は細寒天の国内生産8割を占める地域とされ、同社はその中で寒天づくりを続けてきた。農林水産大臣賞の受賞は過去3回にのぼる。(写真は一部を除き同社提供)

山さ寒天産業
「山サ寒天産業」

 

訪問は11月下旬。天日干しの本番(12月中旬以降)を前に、現場は冬の段取りへ切り替わる途中だった。時間が押して夕方30分ほどの短い滞在になったが、4代目の佐々木将太さんが工場内をテンポよく案内してくれた。

冬の前に、段取りが始まる

後ほど調べると、佐々木さんは山岡町出身で、名古屋の大学卒業後に商社でドイツ駐在バイヤーを経験し、故郷に戻って家業を継いでいた。案内が手際よく感じられたのは、その経歴の引き出しが段取りに現れていたのだろう。

 

同社では冬季、休耕田を活用した広さ約3470㎡の干し場で寒天を天日干しする。山岡でつくる細寒天は工場で完成する食品というより、最後の仕上げを土地の気候に預けて出来上がる。

寒天作り

工場の仕事と、山岡の冬の仕事

細寒天づくりは、原料の海藻・天草を洗い、煮出して寒天液を取り、型に流して固めるところまでが工場の役割になる。そこから先は山岡の冬との協業だ。凍らせ、日中に解かし、余計な水分を抜く。凍結と脱水を繰り返し、最後に天日で乾かす。工程はシンプルだが、成立させる条件はシンプルではない。

真冬の寒天作りの風景
寒天作り天日干し
山岡細寒天

 

寒天は健康素材として語られることも多い。近年、同社も家庭向けのレシピ提案や、ヌードル、粉末などの商品開発にも取り組む。けれど現場で見えてきたのは、それらの商品の前に、「山岡の冬を使い切って、安定した素材に仕上げる」ための地道な手作業があることだった。

山サ寒天産業の商品

有限会社山サ寒天産業

🔗https://yamasa-kanten.com/

■日本橋三越本店「岐阜探訪~食と匠の共演~」

岐阜の郷土色豊かな工芸品と食の特産品から、岐阜提灯、岐阜和傘、美濃焼に加え、岐阜県の県木イチイをノミだけで彫り上げる一位一刀彫など、郷土色豊かな伝統工芸品。中華そば(高山ラーメン)やしょうゆだれの「みたらしだんご」をはじめ、鮎や飛騨牛の加工品。さらに、県産品の新たな動きとして、可児市在住のイタリア人が県産生乳を用い、故郷の製法で仕上げるナチュラルチーズも登場。一部商品は実演や試食を交え、日本橋にいながら岐阜の食と手仕事を立体的に体感できる構成となっている。

 

■会期:2026 年1 月21 日(水)~27 日(火)
■会場:食の県産品(地下1階)、工芸品(5階)

 

※当レポートは岐阜県主催のプレスツアーに参加して執筆しています。