menu
  • Instagram
  • Twitter
  • Facebook

【コラム】政治家の選挙ポスター―産地偽装ならぬ顔偽装?が許される不思議な慣例

国会議事堂

最近パスポートの更新のために証明写真を撮った。有楽町に向かう前に、近所の写真店で撮影し、既定サイズで印刷してもらったが、仕上がりにはやや不満があった。とはいえ、それが「今の顔」である以上、いかんともしがたい。データも受け取ったが、公的書類ゆえに顔認証に影響する加工は当然禁止だ。結局、出来の悪い現実の顔を提出するしかなかった。

総裁選で気づいた「顔の隔たり」―世代交代を訴えるコバホーク

そう言えばそうだと気がついたのは、今回の自民党総裁選のテレビ討論会だった。若い世代への交代を掲げる小林鷹之氏(50歳)の顔がアップになった瞬間と、スタジオで掲げられた選挙活動にも使われている、若々しいパネル写真とのギャップに、思わず吹いた。メークもしているはずだがアップの顔は年相応で、パネルの「若い頃の彼」と比べれば落差は歴然だった。同氏は若い世代の登用を訴える分、顔写真も若いまま据えているのだろうか(笑)

ステマ騒動と選挙ポスター―2つの顔をめぐる牧島かれん氏

最近、牧島かれん氏(48歳)の顔写真も話題になった。小泉進次郎氏の陣営で広報を担い、ステマ戦略で批判を浴びたが人物だが、改めて報じられる姿とポスターの顔との隔たりがSNSでネタになった。著者は、同氏の選挙区である小田原に釣りに出かけることがあり、町中に貼りめぐらされたポスターを目にして、「かなり違うね」とは気づいていた。ステマ騒動を受けて、「偽」っぽさが一層際立ってしまった(笑)

貼り続けられるポスターと次戦の顔の落差

こうして振り返ると、政治家のポスターの顔と実際との隔たりは珍しくない。むしろ常態化している。「選挙ポスター」「公式ウェブサイト」「後援会の活動チラシ」、さらには、「テレビ番組でのパネル」に至るまで、政治家の「過去のベストショット」が幅を利かせている。10年、15年前の写真が平然と使われている。

 

しかも、特に国会議員の場合、一度当選してしまえば次の選挙まで、メディアでも選挙区でも顔を目にする機会がぐっと減る。その結果、街に貼られた「若い頃の顔」のポスターだけを見続けることになり、数年後の選挙で現れる実物との隔たりは、ますます大きくなる。

「今の顔」しか認められない市民

一方で、われわれの市民はどうか。パスポート、運転免許証、マイナンバーカードは「6カ月以内」の写真が必須。履歴書やエントリーシートも「3カ月以内」が一般的だ。選挙と同じく短期決戦となる資格試験の受験票も顔写真付きが当たり前だ。つまり市民は、公的・準公的人生のあらゆる場面で「常に今の顔の提示」を求められる。

 

もちろん、政治家も市民生活者としての手続きでは同じルールだろう(はず)。だが、政治活動に限っては違う。過去最高の1枚を自由に選び、何年も使い回せる。シワもシミも修正され、AI顔認証ですら別人と判定しかねない写真でも、堂々と街頭を飾る。国民は「最新の顔」ばかり強制され、政治家は「理想の顔」を選べる。これも政治家特権なのか。

信頼を支える「現在の顔」

むろん候補者の心理は分かる。選挙では、少しでも好印象を与えたいのだろう。だが、選挙は期限付きとはいえ、国や地域の未来を決める行為。もし入り口の顔写真から現実と乖離しているなら、それは有権者を欺く「虚偽表示」に近い。ブランド牛の産地偽装が発覚すれば大問題となるように、政治家の「顔の偽装」も問題だ。政策を信じろと言われても、まず「その顔、本当に今のあなたですか」と問いたくなる。

 

選挙は信頼の上に成り立つ。であれば、候補者の現在の姿をポスターで示すことをルールにしてはどうか。選挙活動には「現在の顔写真」の使用を義務付けるべきだろう。

 

そうすれば、街を彩るポスターは偽装表示の「昔の自分」から脱し、現実味を帯びた立候補者に変わる。容姿の良しあしではない。そんな「現在の顔出し」に耐えられる政治家こそ、次の任期を託すに値するのではないか(笑)

総務省担当者まで笑ってしまう顔偽装

政治活動で使用する写真の撮影期限について総務省選挙課にたずねてみたところ、「公職選挙法上、顔写真に関する規定はない」との回答だった。その際、電話口の職員が思わずくすっと笑ったのが好印象だった。役人までも笑わせてしまう政治家の集団顔偽装、公正な選挙のために、解決される日は来るのだろうか(笑)

 

関連サイト

総務省