観光立国のジレンマ―オーバーツーリズムとインバウンド経済の不釣り合い

京都や鎌倉、富士山周辺などの有名観光地をはじめ、全国各地の人気スポットで、訪日外国人旅行者の増加によるオーバーツーリズム問題が深刻化している。
急激な観光客の流入は、観光資源である自然環境に影響を及ぼし、登山ルールの軽視や立入禁止区域への侵入、ごみの放置など、保全と安全の両面で懸念される行為が目立つ。
生活圏にもその影響が及び、通勤通学路の混雑、住宅地への立ち入り、道いっぱいに広がる集団歩行や飲食店での大声、SNS映えを狙った危険な撮影行為、生活道路をふさぐレンタカーの違法駐車など、地域住民の生活導線が脅かされている。
また、東京や大阪などの都市圏では、公共交通機関や繁華街での基本的なマナーが守られず、ナイトタイムエコノミー(夜間経済)とも結びついた都市型オーバーツーリズムも顕在化している。路上飲酒やいさかい、クラブやバーでわが物顔に振る舞う訪日外国人旅行者も少なくない。
いわゆるオーバーツーリズム(観光公害)の影響は、観光地や都市部を問わず、自然と生活の両方に深刻な歪みをもたらしている。
宗教・文化の違いと日本の常識に対する無知
こうした行動の多くは、彼らの自国では日常の延長にあり、旅行中という開放感がそれをいっそう加速させている。宗教的・文化の違いに加え、日本よりも社会環境がハードな大陸文化圏の人々と、規律と秩序を重んじる島国・日本の生活様式や思考の差は大きい。
その結果、日本で当たり前とされる振る舞いや社会的作法を知らなかったり、認知していても適応できなかったり、あえて無視して行動することが、日本では非常識となる。
なお本稿では、オーバーツーリズム問題を取り上げるにあたり、「一部の外国人が問題を起こしているだけ」とする見方は見当違いだと考える。日本政府観光局が発表した2025年1月〜8月時点での訪日外国人旅行者数は累計2,850万人(2024年は年間3,687万人)に達している。
仮にそのうちのわずか5%が問題行動を起こしているすれば、およそ143万人に相当する。その規模はもはや「一部の」とは言い難く、日本の社会構造や日本人のマインドにも影響を及ぼす、マス規模の問題となる。
コロナ禍以降 日本と海外における距離感の2面性
日本を含め、世界的にはグローバル化が進展しているとされる一方で、各国ではその動きに反発する層の台頭も目立つ。日本におけるグローバル化は、産業界の海外進出など経済活動の側面もあるが、むしろインバウンドや外国人労働者の増加といった国内で可視化されるグローバル化の印象が強い。
一方で、日本人自らが海外へ出かける機会は相対的に少ない。国内で可視化されるグローバル化への反発が強まるイギリスやドイツ、フランスなど欧州諸国では、多くの国民が依然として海外旅行を楽しんでおり、日本とは対照的である。
実際、近年の日本人は海外旅行の経験が乏しい。外務省の発表(※)によれば、2024年時点でのパスポート所有率はわずか17.5%にとどまる。新型コロナウイルスの流行以降、海外渡航者数は回復傾向にあるものの、コロナ前の水準にはなお届かない。
さらに、海外旅行でも個人手配の割合が増えてはいるものの、家族旅行やシニア層を中心に、今なお大手旅行会社が提供する安全志向のパッケージツアーに参加する傾向も根強い。
こうした背景から、現地で外国人のリアルな行動様式や価値観に触れる機会は限られており、文化的に慣れない状況にもある。そのため、訪日外国人旅行者の奔放な振る舞いに対し、驚きや違和感を覚える日本人は少なくないだろう。
かつて学生時代に海外のストリートカルチャーに親しんだバックパッカー経験者も、今では安全で快適な大人の旅を楽しむ層となった。海外旅行経験の少ない(※)Z世代にとって、外国人とは渡航先の人々ではなく、日本国内で日常的に見かける人々になりつつある。
コロナ禍を経て、日本政府は観光立国を目指すとして、2030年に訪日外国人旅行者数6,000万人の達成を目標に掲げた。日本旅行業協会は今年8月、2028年にはその目標を前倒しで実現するとの予測を発表。日本の観光振興の議論は、いまや国内旅行需要よりもインバウンドを軸に動いているのが現実だ。
このような状況下で、訪日外国人旅行者の誘致によって利益を得ようとする団体や事業者は、経済効果を最優先に据え、受け入体制の拡充を進めている。一方、その実態は、地域住民の生活環境や公共空間への負荷の上で成り立ち、訪日外国人旅行者によるマナー違反やトラブルが「ある程度仕方のないこと」と黙認されている側面も否めない。
そのため、訪日前に行われるべきマナー啓発や文化理解の教育のアプローチは後手に回り、結果として、日本国内の現場で対症療法的な対策が繰り返されている。
こうして、日本を訪れる外国人旅行者の多くは、日本社会におけるマナーや公共マナーや生活文化を十分に理解しないまま来日している可能性が高くなる。日本人が海外を訪れる際には、渡航先の文化や作法を事前に学ぶことが当たり前だが、訪日外国人旅行者の多くは、来日そのものをぶっつけ本番の「異文化体験プログラム」として楽しんでいるようだ。
旅の祭典で体感した観光業界の「インバウンドシフト」
9月下旬、名古屋で開催された旅の祭典「ツーリズムEXPO」を取材して印象的だったのは、地方自治体や事業者など各ブースの担当者が、こちらから尋ねていないのに「うちのインバウンド向けは…」と話し始めることが多かったことだ。まるで、立ち食いそばで、うどんを注文する前に厨房から「そばで」と差し込まれるような、反射的な対応だった。
売り出し中の観光プログラムを誇らしげに語る担当者もあれば、「うちはインバウンド対応がまだで…」と、手をつけられていない状況を少し恥ずかしそうに打ち明ける担当者もいた。
さらに、それらの地域に「日本人向けのプログラム」について尋ねると、「インバウンド向けに作ったが、日本人も楽しめる」という答えが返ってくる。いかに観光業界全体がインバウンド前提に染まっているかを象徴していた。
「発信しても啓発なし」のインバウンド受益者の振る舞い
国のインバウンドシフトを背景に、近年、日本国内では多言語のインバウンド向けオンラインメディアが次々と登場し、訪日外国人旅行者の誘致に日々、情報発信を行なっている。
こうしたメディアは、大手メディアや既存のオンラインメディアと異なり、「PR」クレジット付きの広告記事が多く、中にはクレジットを表示しないステマのような記事も見受けられる。
大手メディアは「マスゴミ」と揶揄されながらも、ジャーナリズムの編集規範や表記ルールを概ね守ってきた。一方で、新興のインバウンド専門メディアは、ITやコンサル業界出身者が立ち上げ、スタッフは日本人と在日外国人で構成されるなど、日本のメディア業界の背景とは異なる事業者により運営されていることも多い。そのため、報道や編集における社会的責任よりも、プロモーション媒体としての性格が強まる。
ここに、「発信しても啓発なし」という構造的な問題が浮かび上がる。インバウンド向けのマナー啓発記事は広告主がつかず利益が見込めないため、メディアが記事にする動機を持ちにくい。主要なインバウンド向けメディアで公開された記事を遡って見ても、マナー啓発をテーマとしたものはごくわずかで、観光ガイドや誘客コンテンツが占めている。
さらに、観光事業者やインバウンド関連のマーケッターなどが集うSNSコミュニティでは、誘客ノウハウや宣伝、国・地方自治体の補助金獲得に関する情報交換こそ盛んに行われているが、オーバーツーリズムの課題について議論する投稿はほとんど見られない。
観光受益者層がオーバーツーリズムに向き合わず、沈黙を続けていることこそ問題の本質が見えてくる。インバウンドエコノミーのプレーヤーたちは、「誘致と消費」の拡大に傾倒し、地域で生じる摩擦の解消へのコミットメントを避けているように振る舞う。
マナー啓発は、影響を受ける地元住民の声に押されて動く一部の自治体やボランティア任せとなり、観光事業者や団体は恩恵を享受しながら、その負担を外部へ委ねていることになる。
繰り返される「インバウンド礼賛」バラエティー番組
さらに、大手メディアでは、テレビ各局が「紀行番組」ならぬ「奇行番組」とも言うべき、インバウンド礼賛型のコンテンツを繰り返し放送している。報道番組では、有名観光地のオーバーツーリズムを「今日のニュース」として短く取り上げ、一定の問題認識は社会に共有されている。
しかし、ゴールデンタイムの2時間バラエティでは、「今、訪日外国人に人気の〇〇〇」と題した特集が常態化し、スタジオのタレントたちがその様子に関心を寄せたり、喜んだりしている構図が繰り返されている。
テレビ局は、こうした番組を通じて日本人の自己肯定感でも高めようとしているのか。それとも、政府が掲げる訪日外国人旅行者数6,000万人という目標を後押しする、歓迎ムードを演出しているのか。いつの間にか日本の観光は、「外国人に褒められる材料」となっている。
観光産業やメディアの社会責任と平和産業としての観光
本来、観光産業やインバウンド向けメディアは、訪日外国人旅行者に対する「日本の広報代理人」として、日本社会および地域社会のルールを伝え、日本人の生活や感情の質を損なわないよう啓発する責任を伴なうのではないか。
しかし現実は、「観光の魅力発信あれどもマナー啓発なし」。インバウンドエコノミーの受益者がその依存度を深めるほど、個人として問題意識を抱いても、業界内での問題提起はタブー視され、その空気に阻まれる。
観光とは、本来「国際相互理解を深め、世界の平和に寄与する産業」と位置付けられてきた。そうであるならば、問われているのは、地方・都心を問わず、地域の生活者が心豊かに暮らしていける環境を、観光という手段を通じていかに築くかという点にある。
訪日外国人旅行者の誘致がオーバーツーリズムを引き起こし、時に国際的な軋轢さえ生んでいる現状のままでは、観光は生活者の支持を失い、真の意味での「おもてなし」も持続しないだろう。
そろそろ観光産業もメディアも、陽気一辺倒でもなく、課題一辺倒でもない。「平和産業」としての観光のあり方を、改めて見つめ直す時期に来ている。
その際、インバウンドの受益者は、対前年比の売上がどれほど減少しても健全な経営を維持できるかを考え、地域住民は、どのような外国人旅行者なら歓迎できるのか、その許容レベルを自ら描く必要がある。