「マスゴミ」から「オールドメディア」へ より問われる受け手のリテラシー

日本経済新聞が「報道の未来」と題し、4月前半、読売新聞と朝日新聞の社長、さらに日経出身の経済ジャーナリスト後藤達也氏に、新聞とメディアのこれからを尋ねる記事を相次いで掲載した。
読売は「取材力」を掲げ、朝日は「AI全振り」を宣言した。印象としては、前者が基本の再確認、後者が陽気な号令。新年度の始まりに示された業界リーダーのメッセージとしては、いささか頼りなさが残った。
なお、後藤氏は「SNS時代の読者視点」について語ったが、大きなメディア論というより、フリーランスとなった自身の発信スタイルの説明に近い印象を受けた。これは日経新聞のインタビュアー側の質問内容が影響した。
一方で、これらは大手メディアが、自らの立ち位置をあらためて語りなおさなければならない時代に入ったことを示した。批判にさらされてきた蓄積があるからこそ、そうした自己点検そのものが、一つの読み物として成立する時代になったのだろう。(日本経済新聞「報道の未来 読者の新聞離れ(※)を考える」)
| ※「新聞離れ」という言い方は定着しているが、「新聞」が本来「新しい知らせ」を意味する言葉だとすれば、より正確には「紙の新聞離れ」と言うべきだろう。実際、各紙の電子版登録者は増加傾向にあり、情報はSNS上で拡散される情報のソースになっている。こうした言葉のずれ自体が、いまのメディア環境の変化を映している。 |
新たな呼称「オールドメディア」
そういえば、何かと批判を集める大手メディアは、いつの間にか「マスゴミ」ではなく「オールドメディア」と呼ばれるようになった。
「マスゴミ」という言葉には、怒りや嫌悪が色濃く宿っていた。報じない姿勢、偏向、権力へのすり寄り、既得権、談合体質。怒りを抱く側の立場によって不満や不信は異なっても、それらをひとまとめにして投げつける「共通語」として機能していた。
それに比べれば、「オールドメディア」という言葉からは「毒気」が抜けている。大手メディアにとっても、それはある種の救いだったかもしれない。少なくとも、「ゴミ」と言い捨てられるより、「古い」と位置づけられるほうがましだろう。
だが、問題が消えたわけではない。むしろ批判は、「感情にまかせた罵倒」から、「構造への不信や疑い」へと姿を変えたように映る。
大手メディアは、建前としては権力監視の位置に立つ。だが実際には、政権や官庁、大企業などの強者との距離を極端に切り離しては成り立たないビジネスモデルの上にある。
情報を得るために近づき、ときに配慮し、そのうえで報じる。さらに広告やイベント事業も受託する。
右寄りか左寄りかといった表向きの見え方の違いはあっても、大手メディアには、権力に近づきながら、必要な局面では権力を批判するという、ねじれた立ち位置がある。
それは理念の矛盾というより、メディア事業の現実でもある。報道機関である以上、権力との近さばかりが目立てば、自らの正統性は揺らぐ。そのため節目では権力批判を行い、厳しい論調も示す。近づいたり批判したりする。その「揺れ」そのものが、大手メディアの実像だ。
ただ、ここで問われるべきなのは、メディア側だけではない。受け手側のメディアリテラシーが試される。
受け手がメディアに一定の役割を期待しているほど、その立ち位置が揺れたように見えた瞬間、反発は「裏切り」の感情へと変わりやすい。
もっとも、その「裏切り」の意味は人によって異なる。権力にもっと厳しく対峙すべきだと考える人にとっては、権力との近さが失望の理由になる。反対に、既得の秩序に寄り添うものだと見ていた人にとっては、政権批判や体制批判が裏切りに映る。
立場は違っても、メディアに自分なりの役割を期待している点では類似している。オールドメディア批判には、嫌悪だけでなく、期待外れの失望も混じっている。メディアを一貫した敵として見ているのではなく、むしろどこか自分たちに近い存在であってほしいと願っている。だから立ち位置が揺れるたびに、不信が再燃する。
普段の記事では気にならなくても、たった一本の記事で信頼を損ねることがある。逆に普段の記事を批判していても、たった一本の記事で信頼を寄せることもある。そこにはメディアの曖昧さだけでなく、それを一面的に受け取ってきた側の危うさもまた表れている。
「マスゴミ」から「オールドメディア」へ。呼び名はある意味で柔らかくなった。だが、それは大手メディアが許されたことを意味しない。むしろ、読む側の期待や依存まで映し出す、より厄介な言葉になっただけなのかもしれない。
「SNS」も「オールドメディア」も自分にとって都合のよい「正義」や「敵」として取り込みすぎないこと。不完全であることを前提とした情報ツールとして距離を保ちながら利用する。今、求められているメディアリテラシーとは、そうした一歩引いた視点なのではないだろうか。