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【掌編小説】「どこかへ旅をする。」第2回 長野県諏訪市 諏訪湖


旅に出るきっかけやスタイルは人の数だけあります。
そんな旅を、不定期連載の掌編小説「どこか旅する。」でお届けします。物語は実際のことかもしれないし、空想かもしれない。その両方かもしれません。それは作者しか知りません。(写真:望月柚花)

掌編小説 諏訪湖

湖畔にて

七月二十四日八時二十五分バスタ新宿発、長野県岡谷市行き。
高速バスはとても空いていて、乗客は自分を含めて十人程度だった。

iPhoneにはモバイル乗車券のスクリーンショットが保存されている。目的地の天気は晴れの予報だが、朝の新宿は弱い雨が降っていた。

 

諏訪湖を見てみたい。そう思ったきっかけはずいぶん昔、まだ娘が小さい頃に見ていたテレビ番組の特集だった。山間の盆地にある豊かで美しい湖。

バスの窓ガラスを伝う雨を見ながらぼんやりする。
今までずっと、母でもなく妻でもなく「私」としてどこかに行きたいと痛烈に思っていた。

でも、それはなかなか言い出せないことだった。私のわがままを家族がわかってくれないのではない。「母」としての私が、個人としての「私」のわがままを許さないのだ。
そこにあるのは小さな虚しさ。見て見ぬふりはいつまでも続いている。

 

数日前、お風呂から出てきた娘に何の気なしにそんな話をしたことで事が動き出した。

彼女はまだ中学二年生だ。こういう概念的な話はギリギリわからないだろうと甘くみていたのに、返ってきたのは「それって多分、お母さんにとってはすごく必要で、すごく大事なことだと思うよ」だった。
「いいじゃん。お父さんは私が説得するし、どこか行きたいところに行きなよ」と笑う。

長い髪と、ショートパンツから伸びた真っ直ぐな脚。片手には牛乳の入ったグラス。
いつの間に、この子はこんなに大人になったのだろうと思った。この間まであんなに小さかったのに。

世の中でよく言う「子供は親の心配をよそに逞しく育つ」というのは本当なのだ。親が思っているよりもどんどん早く、どんどん強く、どんどん逞しく育っていく。

 

上諏訪駅には正午過ぎに到着した。
バスを降りてまず感じたのは空の近さだった。標高が高いからか、東京で見るよりもぐっと雲が近い。駅から少し先の地下道で線路を超える。

 

初めて見る諏訪湖は思っていたよりもずっと大きかった。涼しい風が湖面をすべるように吹く。
青々と水をたたえ、静かにこの地を見守りつづける存在が、私の抱える虚しさなど瑣末なことであると言っているようだった。

「ほんとうにそうね」

ひとり呟いて写真を撮り、家族のグループLINEに貼り付ける。
すぐに既読がついて、夫と娘から「綺麗!」「いいな」とメッセージが飛んでくる。思わず笑ってしまう。

たとえ母でも妻でもないただの「私」としてどこかへ行ったとしても、日常から離れたとしても、大事な存在が大事であることにかわりはないのだ。

 

ずっと心の中にあった虚しさはいつの間にか消えていた。

 

今日は沢山写真を撮って帰ろう。きっと二人とも面白がって話を聞いてくれるだろう。
大きく深呼吸をして、私はゆっくりと歩き出した。

<了>

今回の舞台「諏訪湖」について

掌編小説 諏訪湖
立石公園から望む諏訪湖(写真:諏訪市)

諏訪湖(すわこ)は、長野県のほぼ中央に位置する諏訪盆地に横たわります。岡谷市、下諏訪町、諏訪市にまたがり、湖の周囲は約16km。長野県で一番大きな湖です。周辺には美術館や温泉、神社など、観光スポットが点在しています。

 

掌編小説 諏訪湖サマーナイト
諏訪湖サマーナイト花火(写真:諏訪市)

夏は夜の諏訪湖も華やかです。今夏は8月15日(月)まで「諏訪湖祭り湖上花火」、8月16日(火)〜27日(土)は「諏訪湖サマーナイト花火」が開催されます。いずれも毎晩20時30分から花火が打ち上げられます。

 

掌編小説 諏訪湖
御神渡り神事(写真:諏訪市)

諏訪湖は夏だけではなく、冬も注目です。湖面が凍った時に現われる「御神渡り(おみわたり)」が知られています。御神渡りの際、諏訪湖で行われる「御渡り神事(みわたりしんじ)」は無形民俗文化財に指定され、長い歴史のある神事として現在まで受け継がれています。

 

掌編小説 諏訪湖の足湯
湖畔公園足湯

諏訪湖東岸の上諏訪温泉は1日15,000キロリットルの湧出量を誇ります。昭和3年建設の温泉施設「片倉館」、無料の足湯、間欠泉、温泉宿など、温泉処が充実しています。

 

8月28日(日)~10月31日(月)の間、長野県・山梨県・静岡県・神奈川県の在住者を対象に、宿泊施設の料金が1人1泊3,000円割引きになる「すわ泊お宿割」を実施します。

 

 

文章は「望月 柚花」。1993年群馬県生まれのライター兼フォトグラファー。

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