岐阜県の最北端、富山県との県境に位置する飛騨市宮川町。ここに、歴史の息吹を感じる美しい棚田が広がる集落、種蔵(たねくら)がある。住民たちの長年の協力によって築き上げられた石積みの棚田は、今も文化的な景観を保ち続けている。現在、棚田では蕎麦やミョウガが栽培され、季節ごとの風物詩となっている。(写真:集落の高台からの風景)
特に目を引くのが100年以上前に作られた「板倉」だ。火災から食料や種、家財道具を守るために家屋とは離れた場所に建てられている。種蔵の名は、江戸中期の天災や飢饉の際、「板倉」に蓄えられた種が他の村へと分け与えられたことに由来する。
「種蔵」は岐阜県の中でも高齢化と過疎化が進み、わずか8世帯が暮らす限界集落ながらも、その美しい棚田の風景は今なお維持されていることに驚かされる。その中で、「板倉」は現在20棟が残っている。「家を壊しても倉を壊すな」という伝統のもと、住民たちは「板倉」を大切に守り続けている。この板倉と棚田が織りなす。
大きい集落ではないが、棚田が広がり、集落の通りはほとんど坂道で、起伏があるため、高齢者が歩きまわるのは大変だろう。この景観はどのように保たれているのだろうか?
住民や地域外の人々、団体、企業が協力し、4月から12月の間、棚田の保全活動を行っていることが、その秘訣だ。「飛騨市ふるさと種蔵村」や「種蔵を守り育む会」などの団体が、年間を通じて、棚田の獣害柵設置、雪囲い外し、みょうが畑やそば畑の作業、草刈りなどの催しを実施し、棚田と風景を守り、地域住民の活力を支えている。
ほかにも、夏には夕涼みコンサート、11月には収穫したそば粉で打った新そばを提供する「新そばまつり」などのイベントが開催される。
飛騨市が管理している空き家「TANEKURAHOUSE」で昼食を取った際、飛騨市宮川振興事務所の土田さんに「これだけ美しい風景であれば、不便な場所でも、観光客が増えるのではないか?」と尋ねたところ、土田さんは、「観光客を増やすことが重要ではなく、棚田を守りたいという人が集まり、この地を守り続けていることが重要」と答えた。
種蔵は指折りの素晴らしい土地であるにもかかわらず、その情報は限定的だ。飛騨市が作成したA4サイズで見開きパンフレットの「種蔵カレンダー」には、協力団体による保全活動の年間スケジュールが掲載されている。この活動は一般参加者を募っているが、観光ガイド的な情報は省かれている。一度種蔵を訪れてその風景に感動した人にとって、再訪のきっかけとしてこのカレンダーが役立ちそうだ。
棚田を眺める観光客が、次は棚田を守り手側へと変わっていくような。過度にアピールせず、種蔵の風景維持のエコシステムが作られているかのような気遣いが感じられる。
現地を訪れた後、この風景を記事にするべきかどうか考えた。しかし、この風景は飛騨市や岐阜県だけでなく、未来に受け継がれるべき日本人の宝だと感じた。そして、この土地を守りたいと願う人が、一挙に100人とかではなく、1人、2人、3人と適度に増えていくことが、この地域の保全にとって理想的だ。
そのためにも、大手メディアや有名インフルエンサーではなく、小さな「よい旅ニュース通信」で紹介するのがちょうど良さそうだ。この記事により、日本の宝の保全にほんの少しでも参加ができたら嬉しい。
種蔵集落へのアクセスは、公共交通機関を利用する場合、JR高山本線「S駅」からタクシーで約10分。飛騨市の中心「飛騨古川駅」からタクシーで約40分。現地には無料駐車場が完備されている。
■合わせて行きたい「池ケ原湿原」(宮川町洞)
種蔵を訪れる際にぜひ立ち寄りたいのが、種蔵から車で約30分の場所の県立自然公園内にある「池ケ原湿原」だ。標高960m~980mに位置し、約5ヘクタール(東京ドーム1個分ちょい)の広さを誇る。
春にはミズバショウが湿原一面を彩り、夏には木々の合間の日陰を探して湿原を鑑賞すると楽しい。秋には落ち葉を踏みしめながら色づく紅葉を楽しむ。季節ごとの自然美を楽しみながら静かな時間を過ごすのに最適だ。
駐車場のそばから整備された木道が湿原を通っていて、ベビーカーや車イスでも散策が可能。ガイドをしてくれた湿原保全活動をライフワークとする池ケ原湿原自然保護センター所長の岩佐さんから保全の難しさを聞くとともに、「池ケ原湿原はまだ知られていない穴場で、ゆっくり紅葉を楽しめる」と教えてくれた。
岐阜県最北端にある飛騨市を訪れた際には、「飛騨古川」だけでなく、さらに北に広がる宮川エリアへ足を運んでほしい。国道360号を北に進む際、宮川の清流とローカル線のJR高山線が織りなす絶景にも驚くだろう。
取材協力:飛騨市プレスツアー