昨年11月初旬、岐阜県からの案内を受け、東美濃エリアを訪れた。目的は、五街道のひとつ「中山道」を歩き、その途中で何に出会い、何を感じるかということだ。前半は、難所とされる十三峠越え、「大湫(おおくて)宿」から「大井宿」へ。後半は、岐阜と長野をまたぐ「中津川宿」から「妻籠(つまご)宿」を移動する。春の行楽シーズンに検討ください。
現在、岐阜県と6市1町が参加する東美濃歴史街道協議会は、「中山道ウォーキング」を推進し、観光スポットを訪れること以上の体験価値の提供をおこなっています。 |
五街道と中山道
戦国時代に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸と全国を結ぶために整備した五街道(中山道、東海道、日光街道、奥州街道、甲州街道)。1603年に江戸幕府が開かれる以前に五街道は開設され。その後、徳川家代々で整備された。中山道は、内陸を経由して江戸と京都をつなぎ、約530kmにわたる歴史的ルートである。現在の東京都・埼玉県・群馬県・長野県・岐阜県・滋賀県・京都府に通じている。
五街道への旅行といえば、通常は有名な宿場町をピンポイントで訪れることが多い。しかし、今回の旅は、「中山道」をひたすら歩く。宿場町でショッピングを楽しんだり、カフェでのんびりしたりするものではない。宿場町はあくまで通過点だ。本日歩くコースの距離は約13.7kmだ。ジムワークや近所のランニングからも離れて久しいため、この距離感を歩いた記憶は最近無いが、はたして大丈夫だろうか。
今回の旅は1泊2日の予定で、両日とも「中山道」を歩く計画であった。初日は、「大湫宿」(瑞浪市)から「大井宿」(恵那市)までを歩き、2日目は歩きと車を併用して、「中津川宿」から「落合宿」と「馬籠宿」(いずれも中津川市)に立ち寄り、最終目的地の「妻籠宿」(長野県南木曽町)へと向かう。
中山道ウォーキングの初日
11月初旬の平日の早朝、東京駅から名古屋駅へ向かった。特急「しなの」に乗り、その後各駅停車に乗り継ぎ、10時前に「JR瑞浪駅」に到着した。駅では岐阜県と瑞浪市の関係者たちと合流し、車でスタート地点である「大湫宿」へと向かう。山越えの道のりを20分ほどで「大湫宿」に到着する。
今回は自家用車を利用したが、「JR瑞浪駅」から「大湫宿」へのアクセスとして、平日であれば瑞浪市デマンド交通「いこCar」が通年で利用できる。なお、昨年9月中旬~11月中旬には、休日対象のデマンド交通「ムカオ―Car」が運行していた。2024年の秋にもこのサービスの運行を予定しているらしい。
その他には、「JR瑞浪駅」からタクシーを利用すれば、約4000円(要事前予約)で「大湫宿」までアクセスできる。また、「JR瑞浪駅」の次の「JR釜戸駅」からであれば、徒歩約40分で「大湫宿」に到着する。
「大湫宿」は、観光地としてにぎわうような場所ではないが、静かさが「中山道」への旅立ちにふさわしい気持ちを高めてくれる。この宿が位置するのは、本日の進行方向である東側の中津川市方面に「十三峠」、そして後方の西側には岐阜市方面へと続く「琵琶峠」があり、秘境の街のような位置にありながらも、一般住宅が多く存在し、生活感がある。
「中山道」を歩き始める前に、「大湫宿」の中心部にあり、国の登録有形文化財にも指定されている「旧森川訓行家住宅(通称:丸森)」を訪れた。この場所は、観光案内所として利用されており、旅の情報収集や休憩ができる。また、地元の住民が居れば交流もできるため、旅行者にとっては貴重な場所だ。「大湫宿」に訪れる旅行者は、必ず立ち寄ることになるだろう。
いよいよ「中山道」のスタート地点へ向かう。われわれが進むのは「十三峠」だ。名前が示す通り13カ所の上り下りが存在するとされている。しかし、「おまけが7つ」付くというという話もあり、実際には20の坂があるという。峠を歩いている時、坂の正確な数を確認する余裕はなかったので、実際のところの坂の数は分からなかった。
「十三峠」をスタート
では、「十三峠」を抜けて「大井宿」を目指す、13.7kmのコースをスタートしよう。道のりは初めから急勾配で、この坂が本日のコースで最も厳しい傾斜と聞かされたが、まだ歩き始めたばかりで、スピードは自然と速まり、ぐいぐい進む。
ここから「大湫宿」から「大井宿」までの「中山道ウォーキング」の雰囲気を27枚の連続写真を通じて体験してほしい。「楽しそう」とか、「行ってみたい」と思ってくださったらうれしい。なお、詳しいルートや石像物などの情報は、公式サイト「中山道散策ガイド」が詳しい。
恵那市の市街地をしばらく歩いて、「恵那駅」に向かう。一日中、大自然の「十三峠」を歩いていたせいか、幹線道路のアスファルトを歩くと、足元がふわふわした感じがした。この感覚は、周囲の風景が変わったためか、あるいは体力の限界が近づいているためかもしれない。
しばらく歩くと、「大井宿」の町並みに入ったようだ。「大井宿」に入る前は、「馬籠宿」や「妻籠宿」のような江戸時代の雰囲気が保たれた観光地を想像していた。しかし、「大井宿」は昭和の香りが色濃く残る場所だ。当日に歩いたルートは「大井宿」の一部にすぎなかったが、このような町並みは個人的に好みだ。
ゴールの「恵那駅」へと向かう前に、駅の近くにある五平餅専門店「あまから本店 恵那店」にぜひ立ち寄りたい。五平餅は、日本の内陸部、特に信州や美濃地方で親しまれている特産品だ。
はるか昔、長野県で大手旅行会社のバスツアーに参加して「五平餅」を食べた時、運行管理が悪かったため、現場に到着した時、すでに「五平餅」は冷たく硬くなり、おいしく食べられるような状態ではなかった。その体験があり、その後、「五平餅」がある場所に訪れても、食べるようとは思わなかった。印象の悪い旅行体験は、その後の旅行に影響することがある。
今回、この店で五平餅を食べてみて、「人生で損をしていたのではないか」とさえ思った。たった1度、過去の旅行での印象が、その後の旅行、大げさには人生における判断にも影響を与える。非常にもったいないことだ。おいしい五平餅を食べながら、そんな大げさなことを考えていた。
その後、17時半頃に「恵那駅」に到着して、お土産物屋で用事(後記)を済ませ、今日の宿がある「中津川駅」へと向かった。身体はまだまだ元気だった。その夜の宴が盛り上がったことはいうまでもなく、とてもよい睡眠ができたことも「中山道ウォーキング」の効果であろう。
十三峠を余裕で制覇?
今回、ウォーキングビギナーが十三峠を「歩ききった」「歩けた」「歩いた」どれも当てはまるが、一番の体感は、「余裕で歩けた」が正しい。13.7kmの道中、森の中でも開けた場所でも豊かな自然や地域の暮らしの風景が目に飛び込み、飽きさせず、もう少しこの道が続いていたら良かったと何度も感じた。今回、景色を連続写真で紹介したが、その魅力は十分に伝えきれない。実際に現地を歩いて体験してほしい。
「余裕で歩けた」のは他にも理由がある。今日は合計6名でグループを組んで歩いた。最初の1時間は、グループ全員が近い距離を保ちながら歩いていた。時間がたつにつれ、徐々に先頭グループと2番手、3番手のグループに分かれて歩くようになる。そして、先頭グループが街道沿いの目印で後方グループを待つことで、追いついたり、離れたりが繰り返される。そのたびに各自でグループが入れ替わることもある。
先頭グループはよく「さっさと先に進んで」といわれることがあるが、時間内でのゴールを目指すチーム行動としては、先頭グループが遅いグループを置き去りにするからこそ、後ろのグループが引っ張られて、最終的に時間内にゴールができる。
ウォーキング中は、目印のあたりでは、それについて話をするが、山中をもくもくと歩いている時の大半は、「中山道」についてというよりも、昨今の熊の出没や大谷選手、学生時代のこと、さらにどーでもよいたまたま思いつきを口にする。挙げ句の果て、茶屋と茶とインド旅行をつなげて、「茶屋跡」にインド人のチャイ屋が出店したら話題になるといった、意味不明な話までしていた。
今回一緒に歩いたグループは、仕事を通じて、各自が何人か知り合いで全員でそろうことは初めてだったが、中山道の景色の中は、どんなに取るに足らない会話でも受け入れられる雰囲気があった。
「中山道ウォーキング」は、プライベートのチームで歩くのもよいが、社内や取引先など仕事関係者で歩くのもよさそうだ。ゴルフの時のような上司や取引先への配慮は要らない。勝ち負けなくただひたすらに歩くことで同士となり、ついでに夜の宴も楽しくなる。企業にとって、新年度に1人あたり何万円もかけるモチベーション向上ワークショップを行うよりも、実りのある結果がもたらされそうな気がする。
【旅レポ (後半)】岐阜・中山道ウォーキング体験記(中津川宿~妻籠宿)-雨の彩りで特別体験(記事へ)
取材協力:岐阜県・東美濃歴史街道協議会