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掌編小説「どこかへ旅する。」Vol.4|新卒で就職したばかりの青年が選んだ、次の居場所

旅に出る理由やスタイルは、人の数だけあります。特に「一人旅」は、そうかもしれません。
そんな旅の断片を描く掌編小説シリーズが「どこかへ旅する。」です。
今回の主人公は、新卒で外資系IT企業に就職したばかりの23歳の青年。希望に胸をふくらませて社会に飛び出した彼が、“自分らしさ”とのズレに気づき、選んだ居場所とは?

飛行機

社会人になって一ヶ月が過ぎた。
23歳の誕生日を迎えたばかりだった。

 

就職先は外資系IT企業。
メディアでは「エクセレントカンパニー」とも紹介される会社だ。

 

配属先は、希望通りのセールス部門。
人と向き合う仕事には自信があった。

 

小さい頃から、いつも同級生を引っ張る存在だった。小学生で近所のJリーグ下部組織でサッカーに打ち込み、中学高校ではキャプテンとしてチームをまとめていた。

 

大学では、体育会ではなく人と出会う機会を求めて、他大学の友人たちとフットサルチームを立ち上げた。コロナ禍でのスタートだったが、対面で相手と話し、直接心を通わせたときの感動は、今も忘れられない。

 

だからこそ社会では、営業職としてもっと人と出会い、世界を広げていくつもりだった。

 

だが、現実は違った。
問い合せや展示会の名刺から作られた営業リストをもとに、顔も知らない相手へ電話をかけ続ける日々。

 

電話営業が多いと聞いていたが、これほどだと思っていなかった。
「またか」と冷たく切られたり、
「顧客管理システムを売ってるくせに、営業先の管理もできないのか」と皮肉を言われたり。

 

LINE世代の自分にとって、電話を使ったコミュニケーションは得意じゃなかった。
先輩は、「慣れてきたらZOOMで、相手と直接話ができたら面白くなる」と言う。

 

次のステップはZOOMで商談・・・
本当は、会って話がしたい。
表情を見て、空気を感じながら、人に関わりたかった。けれど与えられたのは、ひたすら電話をかけ続ける日々。かけても、かけても、手ごたえを得られない。

故郷

ゴールデンウィーク。
久しぶりに、故郷の町へ帰った。

 

駅を降り、町の香りを吸い込んだ瞬間、
胸の奥がじんわりと熱くなった。
高校時代の通学路を通る。
誰かと出会うたび、「元気だったか」と声をかけられた。

 

ただ、町の商店街を歩くと、シャッターの閉まった店がいくつも目に入った。
高校時代には、放課後の寄り道先だった場所が、
今では静かに、時の流れに取り残されていた。

 

大学時代も、年末年始には実家に戻っていたが、
そのときはただ、義務的に短い期間を過ごすだけだった。
自分は町の変化にも、人の変化にも、目を向けてこなかった。

 

つい最近まで、東京に定住する未来を、疑いもせず選ぼうとしていた。
就職活動中のOB訪問で、故郷が近い今の上司が語っていた湾岸エリアのマンション購入計画。気づけば、自分もそれを理想の未来として思い描いていた。

 

大学進学で上京してからというものの、
自分の中で、故郷の存在を少しずつ遠ざけていたのかもしれない

 

たしか、大学2年の飲み会で出身地の話になったとき、東京や神奈川の出身者が多かった中、自分の出身地を伝えると、「どんなところ」「何して遊んだの」と、興味本位の質問が次々と飛んできた。

 

あれから、飲み会で自分の「出身地」を口にするのが、少し億劫になっていった。
それが今は、ただただ、恥ずかしい。

 

東京に戻り、退職代行を使って会社を辞めた。
淡々と書類にサインする手は、意外なほど落ち着いていた。

 

上司に直接伝えることもできた。
けれど、会社のドライな社風を思えば、
自分もドライに対応してもよいと思った。
ささやかな抵抗の気持ちだった。

 

もう、東京で未来を展望することに、意味を見出せなくなっていた。
自分の人生の礎を築いてくれた故郷に、恩返しがしたかった。
その思いの奥には、これまで故郷を遠ざけてきた自分への、自責の念も確かにあった。

 

地元に戻り、知人の紹介で観光協会に就職した。
町のイベントを手伝い、朝市に顔を出し、観光案内所にも立った。
毎日毎日、人と直接会い、言葉を交わす。
自分の印象が町の印象になる。
そんな責任も感じながら、
相手の表情を見て、空気を感じながら働けている。

 

「おまえ、退職代行なんて使ったのか?」
地元の年配の人に笑われた。

 

「お前、馬鹿じゃないか」
本気とも冗談ともつかないその言葉が、不思議とあたたかく感じた。

 

きっとそこに、「ここはお前の場所だ」というニュアンスが込められていたのだと理解している。

それから、10年後

あれから、10年が経った。
就職してすぐのゴールデンウィーク、故郷を見つめ直した23歳の自分は、
どこか、詫びるような気持ちを抱えながら帰ってきた。
すぐに自信を取り戻せたわけではない。

 

それでも今、地元でカフェをオープンした。
地元の素材を使った料理を、旅行者や町の人にも届けている。

 

料理を担ってくれているのは、高校時代に一緒に夢を語り合った同級生。
俺たちは一度、東京で別々の道を選んだけれど、
故郷でまた肩を並べることになった。

 

観光協会での仕事は、正直、向いていたかどうか分からない。
けれど、その時に築いた人とのつながりが、
今のこの店の基盤を作ってくれている。

 

地元の人も、観光客も、
そして今、東京で悩んでいるこの町の出身者も─
「ふと、立ち寄りたくなる場所をつくりたい」。
その想いを、これから少しずつ形にしていくつもりだ。

 

ここに戻ってから、東京生活で忘れかけていた、故郷を想う気持ちを頼りに、
自分のリズムで歩いてきた。
その先に、ようやく「居場所」と呼べる場所があった。

 

退職代行で会社を辞めたこと。
あれでよかったのか、今もときどき考えることがある。
地元ではいまだにいじられる。
東京生活の最後に、小さな“みそ”をつけてしまったような気もする。

 

けれど、それもまた、自分の原点だ。
退職代行を使ったからこそ、いま、自分はここで生きている。
恥ずかしいことかもしれないけど、今はそう思う。

 

ただ、願わくば、上京した町の出身者たちには、
退職代行なんて使わずに、帰ってきてほしい。


東京圏への人口流入は29年連続

東京圏(1都3県)では1996年以降、29年連続で転入超過が続き、2024年には11万9,337人の転入超過を記録しました(うち東京都が約8万人)。特に18〜25歳の若年層が、進学や就職を機に地方から上京し、そのまま東京圏に定住する傾向が顕著です。こうした長期的な東京圏への人口流入の蓄積が、地方の人口減少と地域の活力低下に影響をおよぼしています。(出典:総務省「住民基本台帳人口移動報告2024年」)

 

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