旅に出るきっかけやスタイルは人の数だけあります。
そんな旅をおさめた掌編小説「どこか旅する。」の不定期連載始めます。物語は実際のことかもしれないし、空想かもしれない。その両方かもしれません。それは作者しか知りません。(写真:望月柚花)
掌編小説「祖父と真鶴」
エアコンのたてる静かな音。7月25日、天気は晴れ。窓の外は目が眩むように明るく、気温は35度を超えると天気予報で言っていた。
夏は外と内の境界線がぐっとはっきりする気がする。温度差のせいかもしれない。涼しい部屋は快適。
畳に寝そべり、薄い布のトートバッグをずるずると手でひっぱる。この数冊のノートは祖父の遺したものだ。
中身は欲しい本のリストや趣味の凧作りのための設計図などで、合間に日々のことも記されている。自転車でどこそこまで行ったとか、誰それから手紙が届いたとか、そういう些細なことだ。
文字を指でなぞりながらゆっくりページをめくっていくと、「真鶴で海を見た」という箇所が目に止まった。
8月2日 晴天
真鶴で海を見た。トンビが頭上を旋回しながら伸び伸びと鳴く。よく晴れた、穏やかな海だったが、どういうわけか物哀しく感じた。
「どういうわけか物哀しく感じた」。寡黙で、職人気質で、頑固だった祖父だ。私が知る限りでは、祖父が自分の気持ちについて口にすることなんて一度もなかった。嬉しいことがあった時だってにこにこなどしなかった。いつもけわしい顔をしていた。
真鶴には一人で行ったのだろうか。海が見たくて?あのおじいちゃんが?
翌週末、私は真鶴へ向かうことにした。ちょうどアルバイトを入れておらず、友達との約束もない週末だったので都合が良かったのだ。
その日はとても暑い日だった。気温は今夏の最高記録を更新したらしいが、電車の中は外の暑さなど忘れるほど冷房が効いている。ペットボトルのジャスミンティーを飲んで、Twitterを見て、うとうとしていたらあっという間に真鶴駅に到着した。移動中に車窓から海が見えたので、真鶴駅からも海が見えるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。とりあえず、坂道を下り海を目指すことにした。
自慢ではないが、私はひどい方向音痴である。
海に向かっているはずなのに、歩いても歩いても海は見えてこなかった。スマホのGPS機能を使って地図で現在地を見ても、自分がどの方向を向いているのかがわからない。汗だくになりながらも歩き続ける。
「こんなことなら家でごろごろしていた方がよかった」と後悔し始めた時、頭上で「ぴゅーい、ぴゅーい」という音が聞こえた。
聞いたことのない音だったが、私にはそれがトンビの鳴き声であることがわかった。海が近いのだ。風に潮の香りが混じる。
木が鬱蒼と茂った坂道をくだって行くと、南国みたいな木と海が見えた。海はなんだかばかみたいに明るくて、私にはちっとも物哀しく見えなかった。
わかんないなあ、と思って苦笑する。
やわらかな潮風にまじって、懐かしい気配がした。
<了>
今回の舞台「真鶴」について
真鶴町(まなづるまち)は、神奈川県南西部に位置する町です。人口は約7,000人。町の広さは7.05㎢(東京ドーム150個分位)で、その半分は「真鶴半島」として三方を海に囲まれています。
真鶴駅までは東京駅からJR東海道本線に乗って、乗り換えなしの約1時間30分。都内からも気軽に訪れることができるので、週末の日帰り小旅行におすすめです。
「真鶴」という町名は、真鶴半島が羽根を広げたツルに見えることに由来しているそう。
町は南部・真鶴地区と北部・岩地区の2つの地区で構成されていて、今回の掌編小説「祖父と真鶴」の舞台となった海の見える場所は、岩地区にある有料道路「真鶴道路」の「岩インターチェンジ」手前の坂道です。
真鶴町では毎年7月27日と28日に、国指定重要無形文化財「日本三大船まつり」のひとつ「貴船まつり(きぶねまつり)」が開催されています。
およそ300年以上の歴史がある貴船まつりは、小早船・神輿の海上渡御や鹿島踊りの奉納など、豊漁と無病息災を祈願する真鶴町伝統の祭事として、今日まで大切に受け継がれています。
コロナ禍、2年連続で開催中止になりましたが、今年は新型コロナ対策を講じた上で開催される予定です。
真鶴半島の先端は岬になっていて、三ツ石はその真鶴岬から望むことができます。初日の出の観測スポットとしても知られ、多くの人が訪れる場所です。
文章は「望月柚花」。1993年群馬県生まれのライター兼フォトグラファー。高校中退から数年間のひきこもり、アルバイトを経て、ライターの道へ。趣味は読書と散歩、深夜のラーメン。