春本番の訪れとともに、旅行への気持ちが高まる。冬ごもり明けの4月初め、沖縄離島に行ったばかりだったが、来週にでもどこかに出掛けたいと考えていたところ、親しみのある岐阜県飛騨市の「古川祭」に誘われて見学してきた。
学生時代、友人が故郷の祭りが近づくと、地元に帰っているのは知っていた。普段、あまり地元の話をしない友人が、いそいそと地元に戻るのは不思議でもあり、うらやましくもあった。自身は土地に歴史のない住宅地で過ごしたため、身近に地域伝統の祭りはなく、小学校の校庭で行われる盆踊りが祭りだった。
旅が身近にある今も、祭りを目的に出掛けることはなかった。仕事柄、祭について聞く機会はよくあるが、経験がないからかどこか人ごとだ。しかし、古川祭は大好きな古川で開催されるため、祭り見学に前向きになったと言うか、古川に行く口実ができたと思った。
飛騨古川祭について
「古川祭」は、飛騨市古川町にある気多若宮神社の例祭で、毎年4月19日・20日に行われる。歴史や観光的な価値が高く、国重要無形文化財やユネスコ無形文化遺産に登録されている。そのため、国内外から3万人規模の観光客が訪れる大きな祭りだ。
古川祭は、初日朝の神事から始まる「神輿行列」や各町で「屋台曳行」、夜は名物「起し太鼓」が行われる。2日目は各町の屋台が集まる「屋台曳き揃え」と、フィナーレは神輿が気多若宮神社へと還御される。観光客向けには、動の「起し太鼓」、静の「屋台行列」とPRされている。今年は祭りの目玉の起し太鼓が4年ぶりに行われるが、コロナ感染防止の観点から、起し太鼓に対する付け太鼓の攻防や、行列巡行など内容を縮小して開催すると聞いていたが…
この記事では、祭りと縁がなかった人物が「古川祭」で心が揺さぶられたことや、垣間見えた地域の人と祭りの関係を紹介したい。なお、なお、古川祭の歴史や構成などの詳細は、飛騨古川祭公式サイトが分かりやすい。
この記事を通じて、祭りと関係がなかったような人が、来年の「古川祭」はもちろん、今年各地で復活開催される祭りに目を向けてほしい。
飛騨古川へは「上から」がお勧め
飛騨古川へは、東京駅から新幹線に乗り、上から「富山駅」または下から「名古屋駅」経由で、いずれもJR高山線に乗り換え、「飛騨古川駅」を目指す。出発時刻や好みで選ぶことになるが、所要時間が短く、車窓の景色も車内の雰囲気からも上からに軍配が上がる。意外なルートかもしれないが、2015年に北陸新幹線が開業してからはこれがベストだ。
14時30分頃「飛騨古川駅」に到着し、駅舎を出ると戻ってきたという気持ちになる。古川には6-7回は来ているからだ。ただ、この日は感じが違う。目的が古川祭であり、まつり広場に向かう道には「やし」が並び、当日は下校時間の早い小中学生や、観光客でにぎわっている。天気もよく、夜にかけて盛り上がってゆく祭りへの期待感からか、みんなの顔も晴れやかだ。
広場で関係者と待ち合わせ後、都竹飛騨市長の町中ツアーに参加した。市長の古川祭の解説が上級ガイドのようで驚いた。1人で20名程の集団を連れ、約2時間をかけて祭りのあれこれをレクチャーしてくださった。
町中ツアーは最後に古川の酒造場の前で祭りと酒についての話を聞いた。
その場を離れる時は、いよいよあたりは薄暗がりになり始めている。個人的には観光客が少なくなる夕方の情緒あふれる町のたたずまいがお気に入りだが、今日は祭り関係者や住民、観光客などの姿を見かけると気分が上がる。昨日まで祭りとは距離があったのに、既に祭りにこだわりがある。
祭りを愛してやまない森下さん
その後、町中にある観光案内所に寄ると、飛騨古川夢ふるさと案内人会の会長で現役ガイドの森下純雄さん(75才)がいて、少し話をした。同会は、飛騨古川の町並みをガイドして歴史や生活文化を教えてくれる団体だ。ガイドの途中、普通なら素通りするような場で急に立ち止まり「そこっそこっ」と指を差し、飛騨の匠の技術を紹介してくれる。
森下さんから古川祭の歴史や屋台の文化的価値を教えてもらった。言葉の節々から感じる古川の人と祭りについて聞くと、「古川では、小学生になると祭の役割が与えられ、大人になりさまざまな役割を務めて祭りの価値を受け止めて、今なお祭りを愛する自分のような人ばかりいる」と笑う。生涯祭りとともにある森下さんは、今は観光客のナビゲーター役として、古川のことを伝えている。
小さな町の小さなビール工場で味わい深い一杯
森下さんと別れたあと、起し太鼓前の景気づけに、町中にポツンとあるクラフトビール醸造所「ヒダノオクブルワリ―」へ乾杯しに行く。小さなスタンディングバーの奥にビール工場がある。ほぼすきっ腹状態で30分位に1パイントと小3杯をグビグビっとした。同行者にまだ飲むか聞かれ、「はい」と言いそうになるが、この後の成り行きが分からないので、止めておいた。ここのクラフトビールは実に素晴らしかった。オーナーの古川にぴったりのビール工場だ。
実はビール店に行く途中、たまたまひと気のない路地に入った。これが自分好みの町並みだ。今日は祭りを彩る提灯が取り付けられていておちゃめだ。なお、古川は何かの条例で整備された古い町並みではない。スタジオ空間のように作られた感じはなく、自然に調和し町がリラックスしている。町の景観は住民のあうんの呼吸で仕上がっている。
起し太鼓の始まりとともに
起し太鼓の出発地点であるまつり広場に向かった。広場の中央には、さらし姿の男衆が集まり、その周りを住民や観光客が囲む。この日は地域の年齢層がぐっと下がる。あたりは地元出身者の若者が多い。この日のために授業を休んだり、有給休暇を取ったりして帰ってきたのだろう。
起し太鼓の出発地点であるまつり広場に向かった。広場の中央には、さらし姿の男衆が集まり、その周りを住民や観光客が囲む。この日は古川の年齢層がぐっと下がる。あたりは地元出身の若者が多い。この日のために授業を休んだり、有給休暇を取ったりして帰ってきたのだろう。
広場に集まる群衆をすり抜けると、偶然、起し太鼓目前の絶好なスペースに立てた。目の前の澄んだ空気から神秘的なヴァイブを感じ、集中力が増してくる。起し太鼓のスタートを前に、20時から出立祭が行われ、起し太鼓の運営を担う総司があいさつし、祝い唄の若松様が披露された。すると男衆が、付け太鼓と言われる小さな太鼓が取り付けられた長い棒を垂直に立て、それによじ登り、アクロバティックな「とんぼ」を披露し始める。その時、裸男たちが担ぐ櫓(やぐら)に載せられた、大太鼓の上に乗る選ばれし氏子が太鼓を打ち鳴らし始める。周囲から「わっしょい!わっしょい!」とか、町の名前らしき「よんちょーめ!よんちょーめ!」という威勢のよい掛け声が飛び交う。いよいよ待ちに待った起し太鼓が始まる!
起し太鼓が広場を出ようと動き出すと、本年は取りやめと聞いていたが、付け太鼓の男衆が起し太鼓に攻防を仕掛けてゆく。周囲からは、「いけいけ!進め!」というような声がして、熱気がすごい。私も祭りの一部になろうと、町中に出て行った起し太鼓に密着して追いかける。たまに前線の警備員さんにやさしく押し返される攻防も繰り返された。
祭りに来る前、こんなにアドレナリンが出るなど思いもしない。祭りと言うと、沿道から見学するものだが、起し太鼓は控え目である必要のない参加型だ。少し勇気を持って起し太鼓を追いかけると一体感が生まれる。
祭りの風習「呼び引き」を体験
「呼び引き」は、起し太鼓の夜、地域の家庭が親戚や知人を集め、飛騨料理や酒をふるまってくれる風習だ。紹介してもらった家に入ると、たくさんの料理が並んでいた。他に招かれていた有名流通チェーンの社員が10名程いた。聞くと古川祭への参加が会社の研修になっていると言う。
席に着くと、生粋の古川人が地元酒蔵の酒を矢継ぎ早に注いでくださる。空のおちょこのキープが苦手な身としてうれしい風習だ。10杯ほど飲んだところで、宿がある高山に向かうため乗る予定だった電車は出ていた。こんな夜は、無理に動く必要はない。念のため、1時間後の最終列車に乗れないことを考え、高山まで歩いた場合を聞くと、3時間位と言う。やれないことはないが、おいしい唐揚げと山菜の天ぷらを食べ、お酒をいただきつつ、結果的に23時過ぎの高山行きの定期バスに乗り込めた。
※2日目は後日後編で…