(中編に続く)元旦の能登半島地震の後、大手メディアを通じて伝えられる輪島の情報は断片的であることを痛感した。能登初日の夕方、輪島市から、当日の宿がある穴水町に向かった。(写真:見附島/珠洲市)
【奥能登レポ(前編)】地震と豪雨に揺れる能登、復興の歩みを探る旅の準備と混乱 【奥能登レポ(中編)】今こそ訪問したい能登(輪島市) |
輪島から奥能登の玄関口「穴水町」へ
穴水町は奥能登の南端にあり、中能登の七尾市と隣接している。今までに穴水町は通り過ぎることはあったが、宿泊や地域を巡った経験は無かった。しかし、能登半島・内浦独特のリアス式海岸が広がる穴水の海に憧れて、釣りをしてみたいという思いがあった。旅先での釣りは、釣果以上に、雰囲気や風情が欠かせない。
宿泊先「滝川」に到着。滝川は、穴水町の中心街・大町地区にあり、のと鉄道の終点「穴水駅」から徒歩5分の立地だ。穴水町は他の地域と比べて宿が少ないが、能登の中央に位置するため、他の地域で宿が押さえられない際には穴場にもなる。
夕食まで1時間30分ほどあったので、周囲を散策することにした。辺りは暗くなりかけていたが、直観に任せて町を歩く。特に小さな町では、スマホの情報に頼るよりも、ただ歩く方が、町の魅力を感じとれる。
あなみずスマイルマルシェ
宿から歩いて2~3分のところに、新しく建てられたプレハブの平屋建ての建物があった。看板には「あなみずスマイルマルシェ」と書かれている。中に入ると、いくつかの店舗が肩を寄せ合うように連ねていた。その中で、営業していたのは2店舗だった。
近づくと、1店舗は「ふなつ釣具店」だった。実は、能登に来る予定に合わせて、30㎝にたためるコンパクトな竿と小さなブラクリ仕掛けを持ってきていたのだが、すっかり忘れていた。せつかく釣り具店を見つけたことで、青イソメを購入することにした。滞在中に釣りをする時間が取れたらよいが。
この建物は穴水町が中小機構の補助金を活用し建設したもので、地震で店舗の運営が困難になった事業者が入居しているようだ。店主は「グランドオープンは10月6日だけれど、待ちきれずに先行オープンした」と笑顔で話し、こちらも温かい気持ちになった。さらに、青イソメを購入した際に、それより高価なイカ釣り用の「エギ」を記念でもらった。
釣具店の隣には飲食店「雁月(がんげつ)」がオープンしており、外から覗くとすべての席が埋まっていた。同店は明治時代から続く料亭で、元旦の地震で店舗兼住宅が全壊し、オーナーは車中泊しながら避難所で炊き出しを行っていた。グランドオープン後は、住民たちの憩いの場として親しまれるだろう。
あなみずスマイルマルシェには9区画あり、釣具店と飲食店のほか、洋品店、美容室、自転車バイク店、燃料店、保険業者などが入居している。
10月6日にグランドオープンした、あなみずスマイルマルシェは、町の復興を象徴する重要な役割を担ってゆく存在だ。
洋菓子店「お菓子工房Hanon」
「お菓子工房Hanon」は、あなみずスマイルマルシェの斜め向かいにあり、一軒家の1階が店舗になっている。ヨーロピアンスタイルのかわいらしいファサードで、暖かい灯りが店内を照らしている。店内に入ると、店主の滝川さんが出迎えてくれた。
同店は2018年にオープンし、能登産の食材を使ったクッキーやケーキを製造販売している。元旦の地震で店が被災し、営業再開に迷いもあったが、常連客の応援に励まされ、2月19日に再開した。今では地元だけでなく、能登の各地から滝川さんのお菓子を求めてお客さんが訪れる。
当日は、すでにケーキは売り切れていたが、さまざまな種類の洋菓子が並べられている。滝川さんは一つ一つ商品を丁寧に説明してくれた。その中で看板商品のきな粉の菓子は、地震の影響できな粉の仕入れが難しくなった時に、ボランティアを通じて北海道江別市の高校生たちが育てた大豆で作ったきな粉が届いたという。
滝川さんの話は、江別の高校生や大豆を無償で加工した食品会社(江別)、そしてそれを繋いだボランティアへの感謝が溢れていた。結局、おすすめのきなこクッキーと能登の塩を使ったサブレを購入して店を出た。
後でHanonのFacebookの投稿を見ると、滝川さんはいつも誰かに感謝しているようだった。
そろそろ夕食の時間になるため宿に戻った。滝川は食堂も営業しており、夕食はそこでいただく。日中はおむすび3つと餡パン1つだったため、空腹感がピークに達していていた。能登の海の幸がならぶ夕食はあっという間に平らげ、十分満足できた。
穴水駅前の「幸寿し」
腹は満たされていたが、街中で1軒立ち寄りたいと思い、宿に教わった穴水駅近くの「幸寿司」に行ってみることにした。手頃な料金で楽しめる店という。店に入ると、地元の2グループが席についていた。とりあえず刺身3種(ハマチ?、カニ身、バイ貝)とビールを注文。特に久ぶりに食べた本場のバイが美味い。
地元客と歓談していると、2人組の男性が持参していた日本酒をご馳走してくれた。彼らは穴水に拠点を持つ世界的部品メーカーに勤め、転勤で穴水に住んでいるという。そのうちの1人は、コロナ禍に赴任し、明日穴水を離れる前夜で、寿司屋に立ち寄っていた。転勤最後の年に被災した穴水町で過ごした経験を、地元に戻って、どのように語り継いでいくのだろうか。
穴水町出身でこの地に住んでいる高齢の男性からは、地震と豪雨被災以降の街の状況について話を聞いた。こちらから国や県、石川県知事について質問したが、それらの組織に対する問題点が、より一層に深まった。
この流れで少々酔いが回ってきたため、他の客の注文を真似して、最後に冷酒とまぐろ大トロとカニ、穴子の握りをいただき、店を後にした。明日の予定がタイトなので、深酒は避けなければ。
能登バルAZ
店を出てのと鉄道「穴水駅」前ロータリーを見渡すと、すぐそばにオレンジ色の光が灯る「能登バルAZ」が目に入った。事前に確認していた店で迷ったが、今回は入店を断念した。夜間営業は24時までと夜の早い穴水では貴重な店だ。
能登バルAZ店主の新出さんは、元旦の地震後に仲間と昼夜の炊き出しを行い、住民に温かい食事を提供した。その後も、奥能登2市2町で活動するボランティアや工事関係者向けの弁当作りを担った。
能登バルAZ(昼11:00~14:00、夜17:00~24:00、不定休) |
能登2日目の朝
2日目は、7時30分から朝食を済ませ、早々に宿を出た。まず向かったのは穴水港。釣り場を確認するためだ。能登の内浦はリアス式海岸が続いており、湾内に魚が集まりやすいことから、釣りの好スポットが数多く点在している。
穴水港に向かう途中、街の中心を流れる小叉川を左手に見ながら車を走らせた。早朝の太陽が川面を照らし、のどかで美しい景色が広がっていた。写真を撮影してから、港へ向かっていると、寝間着姿の男性が川を覗きこんでいた。毎朝のルーチンなのか。
自身は毎朝、幹線道路の渋滞を見ながら、「今日も混んでいるな」とさえ思わないが、先ほどの男性は毎朝、川の変化に気づいているのだろうか。旅先のこうした地元の人の姿には絵になる。
穴水港
穴水港はリアス式海岸の奥に位置する大きな港で、背後には芝生が広がる「あすなろ広場」があり、「みなとオアシス」(北陸運輸局管轄)と呼ばれている。能登にはみなとオアシスと名付けられた施設が各地にあり、店舗やイベントの拠点になっている。奥能登レポ(中編)で紹介した「輪島マリンタウン」もその一つだ。
穴水港の岸壁には至るところに損傷が残り、堤防の先端は立ち入り禁止エリアになっていた。堤防の手前には、地元の釣り人が数名いたが、狭くなった釣り場に入るのは迷惑なので、釣りは断念しておこう。
再び穴水駅へ向かった。駅に併設されている「道の駅穴水」を撮影するためだ。普段の旅行では「道の駅」にあまり関心を持たないが、能登では営業している様子を目にしたくなる。道の駅は、地域の事業者が商品を販売する重要な拠点であり、ぜひ訪れたい。まだ開店前だが、現在は通常営業してる。
穴水、海の象徴「ボラ待ちやぐら」
穴水港から国道249号を走り、リアス式海岸の美しい景色を堪能する。何度も停車して写真を撮りたくなるが、許された駐車スペースが用意されているわけではなく、撮影地点は限られる。
伝統漁法「ボラ待ちやぐら」が見れるスポットに到着した。このやぐらは地震にも耐えたと地元メディアで取り上げられる、穴水町の象徴だ。町内には3カ所にやぐらがあり、今回は「中居ふれあいパーク」という見学用に停車した。広い駐車場とトイレが完備されており、やぐら間近で見学と撮影ができる。穴水に訪れるなら、いずれかのやぐらを見学したい。
収穫シーズンを迎えた「能登ワイナリー」
ボラ待ちやぐらを出発し、しばらくすると、国道249号は山の中へと続き、道沿いに「能登ワイン」の看板が見えてきた。少々国道を外れ山道を進むと、広がるぶどう畑の中にワイナリーが現れる。
能登ワインは2006年開墾されたワイナリーで、商品販売のほか、工場見学や試飲が楽しめる。赤ワイン6種、白ワイン3種、ロゼやスパークリングワイン3種が製造されており、ワインを使った飴やケーキ、能登半島の特産品も購入できる。
店内でスタッフと少し話した後、全体を見渡せる場所や、ぶどうの木と同じ高さから青空と一体となって広がるぶどう畑を眺めて時間を過ごした。
能登ワイン初心者にお薦めの赤ワイン「ヤマソーヴィニヨン」と赤ワインの飴、穴水町で作られた新米こしひかり「農家自慢のお米」を購入した。帰宅後、今年初めて食べた新米には感動した。やはり能登の米は美味い。なお、赤ワインはまだ空けずに今後のお祝いの日にキープしている。
能登にはワイナリーが2カ所ある。1つは能登ワインで、もう1つ2012年に輪島市門前町の海の近くに開墾された「ハイディーワイン」だ。どちらのワイナリーも地震の被害を受けた。豪雨では、能登ワインは被害を免れたが、ハイディーワインは道路が崩れ、ぶどうの樹にもダメージがあった。いずれのワイナリーもぶどうの収穫量は激減したが、既に今年のワイン生産の手を休めることはない。
ワイナリーでの滞在は1時間に満たなかったが、観光気分を十分に味わえた。しかし、先を急がなければならない。今日は穴水町から能登町を横断し、午後の良い時間に珠洲市に到着する計画だ。能登ワインから珠洲市の目的地である「すずなり食堂」までは、Googleマップによれば、約1時間の距離だ。
里山の町に現れたジェラート「マルガージェラート」
車とすれ違うこともない山間を20分ほど走り、瑞穂地域ののどかな里山の町に入ったところで、有名ジェラート店「マルガージェラート」が現れた。実際には、通り過ぎた際に店のスタッフが道を横断するのを見かけ、「もしかしてそう?」と思った矢先、看板が立っていた。
立ち寄る予定の店だったが、急がないといけないという思いもあり、一瞬通り過ごそうとした。しかし、世界的に評価されているジェラート店がこんな長閑な里山にあることに驚き、約200m過ぎたところで引き返した。
店は田んぼのそばにポツンとあり、見過ごすような場所だ。観光バスも回ってくるようで、駐車場は整備されている。ちょうど開店5分前、サイクリストの男性1人、開店を待っていた。
オーナーの柴野太造氏は能登町出身で、2015年と2016年に2年連続でイタリア最優秀職人賞を獲得。その後も海外で数々の賞を受け、2018年にはイタリアの世界的ジェラートフェスティバルでアジア人初の大使に就任した、日本のジェラート界を代表する人物だ。現在、能登町に本店を構え、石川県の野々市市と白山市にも店舗を構えている。
普段の生活でもたとえ北海道に居ても、自ら進んでジェラートを食べることはほない。しかし、ここのジェラートは明らかに違っていた。能登の天然素材を使用したジェラートは、まるで料理のようだった。味は濃厚で奥深く、残ミルク感がなく、後味はスッキリ。
さらに、快晴で暑い日だったが、ジェラートが全く手に垂れてこなかったので、手を気にしなかった。驚くべきジェラート店に出会ってしまったという感想だ。
ジェラートを食べながら、スタッフに地震後の生活について話を聞いた。とにかく、停電と断水がつ辛かった。約1カ月間、テレビやラジオから情報が得られず、自分たちの置かれている状況が分からない中、「余震が起こるたびに海辺の自宅から高台へ避難していた、暗闇の中で怖かった」という。なお、水道の復旧には約半年を要した。
余談だが、ここでのジェラート体験に味をしめて、東京に戻ってから日本橋の老舗百貨店のジェラートを試してみたが、明らかに好みではなかった。振り出しに戻されたようで少々後悔した。
ここから内浦沿いの国道249号を北上し、「能登パン」に向かう。以前、能登町を訪れた時から気になっていた店だが、その時は時間がなかったので、今回は必ず訪れたいと思っていた。
目の前に海が広がる「能登パン」(パン&カフェ)
当店は目の前に海が広がる素晴らしいロケーションにあり、周辺には民家がいくつかあるだけだった。店の脇にある畑のようなスペースの駐車場には、豪雨の跡が残り、地面に凸凹が残っている。店の扉を見ると閉店していた。しかし、中を覗くと人がいたので、扉を開けてみた。
「すみません、今日は店内清掃のためお休みなのです」とのこと。店内を見ると、床には泥を掃いた跡があり、営業が難しい状況が一目でわかった。来店の理由を話すと、先週の豪雨について「裏山から流れ込んできた水がものすごい勢いで押し寄せてきて、本当に怖かった」と話す。
能登パンでは、保存料や無添加を一切使わず、珠洲の塩を使ったパン生地が自慢だ。また、具材にも能登産の野菜や果物を使用し、地産地消の理念でパン作りに取り組んでいる。
さらに、2階には海を一望できるカフェがあり、タイカレーやピザ、バーガーなどの食事が提供されている。また、黒糖ミルクやキャラメルミルク、地元の赤崎いちごのミルクなど、自家製ドリンクにも力を入れている。
店舗は掃除を終え、新しい機材を導入し、10月12日に営業を再開したようだ。今回はパンを手に入れられなかったが、次回の能登来訪時は3度目の正直にしたい。
能登町宇出津へ
能登パンを後にして、能登町の宇出津地域へ向かう。コロナ禍、宇出津に滞在したとき、非常によい印象を持った。当時の都内はコロナ禍で、小池都知事の「開け閉め政策」により、ストレスがあり、能登町での滞在でリラックスできた。
今回は、当時訪れた店に再び寄ることにした。まず、能登町役場横にある「コンセールのと」へ向かう。観光案内やカフェメニュー、特産品販売、図書館や会議室、バスの発着所などが集まる複合施設だ。
スタッフに豪雨について尋ねると、街の中心を流れる川(山田川)が決壊して、施設自体への浸水は無かったが、少し向こうのエリアの民家が浸水の被害にあったとのことだった。ここでは、西中農園の唐辛子「大辛なんば」と「黄金なんば」を購入し、現在、日々の夕食で激辛と格闘している。
その後、以前、ランチを食べた「茂平食堂」を通ると、店の前に人が待っていて安心した。こちらも豪雨で浸水の被害にあったらしいが再開したようだ。住民で愛されているこの食堂は、旅行者にとってもおすすめだが、メニュー選びに困ることだろう。
茂平食堂(11:00〜20:00/L.O19:40、不定休) |
続いて、かつて宿泊した民宿がある、旧街道の内浦海道を歩く。古い街並みが続くエリアに入ると、何か違和感があった。通りに並ぶ住宅で、見た目が倒壊している建物は一目で分かるが、数多くの家屋に「倒壊注意」の貼り紙を見かける。実際に人が住んでいる家屋は少ないのかもしれない。
日本三大イカ釣り漁港「小木港」へ
宇出津から小木に繋がる能登内浦線(35号)は、風光明媚なルートだ。小木もまた港町で、小木港は函館や八戸と並び、日本三大イカ釣り漁港に数えられている。しかし、去年から今年にかけて不漁が続いている。
その原因として、遠洋漁業は「水温上昇と海流の変化で、東シナ海から日本海にやってくるイカの個体量が減っていることが挙げられる」(石川県水産総合センター)。近海漁業は、「地震の影響で出港ができる漁船が減少している」(同センター)という。
小木港に到着し、以前鍋焼きうどんとカキフライを堪能した「一番舟」の前に来たが、営業していなかった。以前も夜間営業のみだったと思い、建物の様子に違和感を覚えつつ、その場を後にした。その後、地震の影響で閉店したと耳にした。
その先にある釣具店「里磯」では、ちょうど沖堤「東一文字堤防」への渡し舟が出港する瞬間で、船を操縦する大将が見えた。以前に渡船を利用したことが懐かしい。渡船は10分もせず沖堤へ到着し、能登の中でも釣り師憧れのA級スポットだ。
店内に入り、以前訪れたことをお母さんに告げると、話が弾んだ。これまでのことについて話を聞くと、「ほらっ海の目の前だから怖かった」と明るく話すが、実際はどれほど怖い体験だったのか想像を超える。その後、店の前に案内され、船着き場に残る水没を指さした。
前回、ここから九十九湾まで大将が車で送ってくれたことの御礼を伝えると、お母さんは「そろそろ戻ってくるよ」と言うが、急がなければならなかったため、待つのは断念した。車のエンジンをかけると、沖から船が戻ってくるのが見えたので、座席から会釈をして、その場を離れた。
今後も里磯は、能登随一のA級スポット「東一文字堤防」に憧れる釣り人の渡船を続けていくだろう。
九十九湾名物「イカキング」
日本百景に選ばれる「九十九湾」は、小木港から約1.5㎞の位置にあり、こちらは漁船が停泊する港ではなく、リアス式海岸そのものの特徴を持つ大きな入り江で、高原の湖のような絶景が広がる。湾内を巡るフェリー観光も人気だった(現在休止中)。
入り江には、お土産物販売とレストラン、イカ漁の解説展示の「イカの駅つくモール」が営業している。そして、そばに横たわる巨大なオブジェ「イカキング」の話題が絶えない。
コロナ禍に地方臨時交付金を利用して製作された「イカキング」は、当時、交付金の使い方として問題視され、全国放送の情報番組など大手メディアが取り上げ、ネット世論や地方創生の専門家を名乗る人物などからの批判を受けた。
その後、コロナ禍もその後も観光客を集めるようになり、お土産店やレストランの売り上げへの経済波及効果が期待されるようになった。
元旦の地震で九十九湾が津波による被害を受けた際、「イカキング」がほぼ無傷だったため、大手メディアは能登町のシンボルが津波に耐えたと物語風に報じた。
先日、ある情報番組の衆院選特集では、ある政党が地方交付金を倍増にするという公約を取り上げ、コロナ禍の地方交付金の無駄遣いの例をいくつか紹介した。地域ごとにパネルが捲られる際、次はイカキングかとドキドキしたが、最終的には取り上げられなかった。
考えられる理由は2つある。番組ディレクターが被災地のオブジェを悪い例として取り上げることに批判が集まると考えたか、あるいはイカキングの経済効果を認めたからか。話が脱線したが、大手メディアの特徴を紹介したかった。
お土産コーナーとレストラン
「イカの駅つくモール」は4月に時短営業で再開した。施設内のお土産コーナーに向かうと、一見商品が豊富に並んでいるようにも見えたが、まだ珠洲の事業者の商品が戻ってきていないと聞いた。ここでは、小木港産のイカを使った魚醤油を購入した。
施設の奥を見ると、レストランでスタッフが閉店作業をしていた。再開当初、レストランは休業していたが8月営業を始めたようだ。すでに営業時間が終了しており、名物のイカ丼を味わえなかったのは残念だったが、今、あの味を楽しめることの意義は大きい。
厳しいスケジュールでお目当てのグルメ店をスルー
すでに14時を過ぎている。これから珠洲に向かい、明朝10時には能登空港に到着しなければならない。改めて、午後便の運休が首都圏から能登へのアクセスを遠のかせているのではないかと考えさせられる。
朝から移動続きでまともな昼食が取れず、途中コンビニの買い食いで済ませていた。能登入りの前に、九十九湾から珠洲に向かう途中で寄りたい飲食店がいくつかあった。狙っていたのは「小菊のカツカレー」、「レストラン大樹のステーキ定食」、「ナポリダイニングの能登ハントゥライス」。それぞれが約1㎞内に位置している。
ただ、もし時間があったとしても、どの店に行くかは決め切れていなかった。この決着は次回の能登訪問にまかせたい。
内陸側から海岸線に戻り、珠洲市を目指す。珠洲に着いたら、まずは観光スポット「見附島」に寄る予定だ。
恋路海岸の碑「なかの洋菓子店」
珠洲市に入る前、能登町の海岸線を走行中、一時停止したいと思う海辺の駐車スペースが現れた。そこには「恋路海岸の碑」があり、そのそばにはおしゃれなカフェ「なかの洋菓子店」があった。
偶然オープンしている店を見つけた際は、迷わず入ってみたい。店内には大きなショーケースとカフェスペースがあり、運転中に食べるクッキーを購入した。店主に話を聞くと、地震の後、5月に再開し、それ以来、土日曜日限定で営業しているとのこと。「以前は休みも取れず忙しかったのですが、今はマイペースでやっていて、しっくりきています」と教えてくれた。
「復興」という言葉は、被災地の外にいる人には、主にハード面での復旧や新たな設備の導入といった物理的な側面で捉えられがちだ。しかし、店主からは、新しい働き方やサービスの在り方をじっくり考えながら、ゆっくりとしたペースで店舗運営を進めようという意志が感じられた。それは、その店をより魅力的にしているようだ。
なかの洋菓子店のSNSでは、地震の後の状況報告や、店頭に並べられないスイーツの写真と共に、店主のさまざまな思いや葛藤が数多く投稿されていた。
なお、神話にちなんで名づけられた「恋路海岸」は、恋路海岸の碑から1分の距離にあったが、洋菓子店のことを考えていたため、通り過ぎていた。評判の「恋路アルバカカレー」が気になっていたが、これまた次回のお楽しみリストにはいった。
珠洲市の軍艦島「見附島」
すでに珠洲市に入り、5分ほどで石川県の天然記念物「見附島」を眺められる海辺の公園に到着した。広場を横断すると見附島が現れた。
見附島は、地震の揺れと約4メートルの津波により一部が崩落していた。見学する位置から見る島だと分からないかもしれないが、軍艦島と呼ばれるその後方部分が大きく崩れた。見附島は年々波風の影響で小さくなっていて、2022年6月の震度6弱、23年5月の震度6強、今年元旦の地震で、さらに崩落が進んでいる。
見附島から珠洲市の内浦海道沿いには民家が続いているが、地震で倒壊や半壊した家屋があった。全ての市町の中心街で倒壊した民家を目撃したが、輪島市と珠洲市が最も多かった。
仮設店舗「すずなり食堂」「すずキッチン」
珠洲市の中心街にある「道の駅すずなり」の敷地に、9月6日にオープンした仮設店舗「すずなり食堂」と「すずキッチン(お弁当)」がある。この食堂は、元旦の地震で被災し、休業を余儀なくされた4つの飲食店(レストラン浜中・典座・グリルせと・庄屋の館)が会社を立ち上げ、共同で営業を始めた。
仮設店舗は珠洲市が中小企業基盤整備機構の補助金を活用して建設。仮設住宅と同様に2年間限定の営業と決められていて、関係者はその間に3年目からの生活の基盤を作ることになる。
オープン以降、地元住民はもちろん、ボランティアや復興作業員たちに親しまれ、賑わっている。到着時には食堂は閉店していたが、お弁当を購入できたため助かった。穴水の宿での朝食以来、ようやく食事にありつけた。お弁当は店内でいただいた。
「すずキッチン」のお弁当は、地震の後、避難所の被災者に提供されていたお弁当作りの経験の流れを汲んでいる。
すずなり食堂は、木金土曜日は夜営業も行っているが、日曜日は休業とのこと。また次回の訪問リストが増えた。看板メニューの「福幸丼」(2,750円)は、能登産のコシヒカリの上に、珠洲市で水揚げされた魚介と宮城県南三陸産のサーモンが贅沢に組み合わされた一品。種類は12〜13種類。
食事を終えた後、道の駅すずなりでお土産を購入しようとしたが、ちょうど16時の閉店時間を迎えた瞬間であった。
明日午前便で東京に戻るため、残された時間はわずか。穴水町から能登町を経て、珠洲市に到着したが、難しいスケジュールだった。これで何回目か、ANAが午後便を運休している現状に、改めて問題がありと感じた。
今晩の宿は素泊まりのため、夕食は、飲食店が無ければコンビニでもと思っていた。すずなり食堂が休みで、魅力的な選択肢が減ってしまった。しかし、幸い、駅の前にうどん店を目にしていた。
つかの間の釣りタイムと夕食探し
宿に向かう前に、昨晩穴水で購入しトランクに保管していた青イソメを思い出し、道の駅から近くの蛸島漁港で30分竿を出した。手のひらサイズのチダイ5匹が次々と釣れた。堤防沿いに仕掛けを落とすたびに当たりがある。次回はもっと釣りの時間を楽しみたい。
今晩は、海沿いの内浦海道にある宿「まつだ荘」にお世話になる。駐車場で車内を整理していると、復興作業員を乗せた車が続々と戻ってきた。日曜日にも復興作業が続けられているようだ。車のナンバーは、金沢、名古屋、豊田だった。
チェックインを済ませ、夕食を探して周辺を回ったが、目を付けていたうどん店は日曜定休日、さらに最寄りのコンビニは地震被害で休業中だった。地元スーパーに向かったが、ちょうど18:00に閉店していた。他に開いている飲食店は無さそうで、近隣の2店舗のコンビニも日曜は定休日で、打つ手がない。
海が見える銭湯「海浜あみだ湯」
夕食を諦め宿に戻る途中、「海浜あみだ湯」という銭湯を見つけた。夕暮れの中、ひときわ存在感があった。寄ってみると、建物の横ではスタッフが器具を修理していて、その背後には薪が積まれていた。聞くと、豪雨で壊れた器具を修理しているという。
海浜あみだ湯のコンセプトは「海が見える銭湯」。2023年12月、元地域おこし協力隊の新谷さんが運営を引き継いだが、その直後に地震があった。幸運だったのはあみだ湯では、井戸水を利用していたこと。3週間後には銭湯を再開し、被災者や支援者にほっとするひと時を届け続けている。
豪雨では井戸ポンプが浸水し、9月末日まで休業が想定されていたが、23日からはシャワー営業を、27日から湯船も復活させた。
一度宿戻り、歩いて銭湯に向かった。宿の風呂は復興作業員が利用して、順番待ちしそうだったので、銭湯はありがたい。しかも宿から歩いて5~6分の距離だ。
下駄箱に靴も多く、時間的に混んでいると思ったが、入浴者はまばらだった。お湯の出る欄干と出ない欄干が分かれていたが、席を確保するのに問題はない。湯船の奥に目をやると、サウナらしきものが確認できた。実は入浴者たちはサウナに引き込まれていたのだ。
サウナは10名入れる大きさ。旅先で見つけたサウナ付きの銭湯に、気分が上がった。湯船とサウナ、水風呂、星空休憩所の繰り返しはただ気持ちよく、今日見た地震や豪雨の跡を忘れていた。
施設を運営にはボランティア有志の力も欠かせない。新谷さんの熱意とボランティアの支援、銭湯を求める利用者とのつながりが力の源になっているのだろう。番頭の周辺には支援物資が雑然と置かれていたが、全国の誰かが珠洲を支援している証しだ。
地震後、県外からの入浴者はアメニティ付きで500円の入浴料となり、サウナ(以前+150円)も利用可能。 今後、料金が変更になる可能性あり。
夕食問題の解決
珠洲の日曜日の夜は早かったが、それは地震や豪雨の影響というわけではない。能登の最先端の地であり、東京の生活とのコントラストを強く感じる。料理自慢の宿だが、現在は食事の提供は休止している。例えば「カップ麺ありませんか」と尋ねることはルール違反だろうし、そのような声はかけたくない。
部屋に戻り、何故かストックしていたビールを飲みながら閃いた。そういえば、昨日輪島で購入したバケットが後部座席にあった。ビールで腹が膨らんでいて、大きなバケットは夕食として十分だった。ほどよく固い皮は甘みがあり、中はもっちりしていて美味かった。
入浴後にビールを飲み、夕食を取り、宿でゆっくり過ごせることに感謝した。昨日の輪島から現在の珠洲までの旅で見聞きした奥能登について思いを巡らせながら、夜10時前には就寝した。
能登3日目の朝 珠洲の浜辺から見た光景
最終日、9月30日。6:00に起床し、宿の裏手にある浜辺を散歩した。ここに津波が襲ったという事実が信じられないほど、静かな海が広がっている。海を眺めていると、背後から近所のおじさんがワンコの名前を何度か呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、おばさんが手を広げて立っているところに向かって、ワンコが駆け寄るシーンが見えた。数軒先に見えるおじさんは、「だから駄目って!」と叫んでいる声も聞こえた。これが毎朝繰り返されていたら面白い。
宿から能登空港まではGoogleマップだと約45分と出ているが、片道一車線の道路状況も考慮し、ここから1時間は見ておきたい。それでも、空港とは逆方向の「青の洞窟」まで訪れられそうだ。宿から洞窟まで約40分。行って帰って戻ってくれば、10時には能登空港に到着は可能だ。
青の洞窟とランプの宿
能登半島の先端近くの「青の洞窟」は、日本三大パワースポットの一つだ。昨年の連休や夏には入場制限がかかるほど人気のスポットだった。ちなみに、他の2つは富士山と分岐峠(長野県)らしい。
洞窟のある場所は、「聖域の岬」と呼ばれ、有名な「ランプの宿」や展望台、売店などがある。戦国時代に創業され、十四代目が経営する企業により運営されている。地震で被災した宿は年内のリニューアルオーオープンを目指している。豪雨の影響で洞窟や展望台、売店は一時休業していたが、9月29日から営業を再開した。
営業時間前だったため展望台には登れなかったが、写真でよく見ていたランプの宿を実際に眺めて、その場を後にした。
時間は8:30。計算上、30分ほど余裕があるため、半島最先端の「禄剛埼灯台」まで行ってみることにした。しかし、急にナビが迷走し始め、危険を感じたため、灯台の手前で引き返した。
結局、能登空港には10:00に到着し、10:50の便で東京へ戻った。
今回の奥能登滞在では、まだまだ回り切れない場所が広がっている。また能登入りの計画を立てたいと考えている。
能登空港周辺の記録
奥能登の旅を終えて
奥能登で訪れた地域では、住民や復興作業員、ボランティア以外の姿はほとんど見られなかった。輪島市の中心街で数名のカメラマンを見かけたが、能登町や珠洲市ではその姿も見当なかった。もちろん豪雨の翌週ということもあるだろう。
能登を支援したり、人々と交流したりしたいと考えた時、必ずしもボランティアとして訪れる必要はない。もし「観光」や「旅行」という言葉に抵抗があるなら、ただ「訪れる」だけでよい。
来週や来月の旅行の予定を少々先に延期しても大きな問題がないのであれば、その時期に、能登に足を運んではどうだろうか。
全3回の奥能登レポートでは、今の能登に旅行者が訪れるべき場所が数多くあることを伝えようと、奥能登レポートをお届けした。今後、能登を訪れる人たちからの情報発信に期待したい。
<参考記事(2021年能登の旅)> 【旅レポ】10年ぶりの能登半島(中編)|ふるさとタクシーで能登町へ 【旅レポ】2日目能登町の歩き方(後編)|釣りと夜のイカキング探訪 【旅レポ】能登最後の日(完結編)|日本百景 九十九湾に没入 |